、批判を通信として書くのがおかしいとか、馬鹿らしいとかいうのが妙だということははっきりしていると思います。文学が階級の文化生産物とならなければならないということは、政治の優位性ということについてはもっと具体的に研究されていいのではないでしょうか。つまり文学というものに連関して私たちの感情の中にとかく刺戟されやすいブルジョア的な個人的ヒロイズムや、それに対する個人的な反感などというものをわたしたちは、階級の全線的な関係からみてゆけるように文学感覚そのものにおける政治性をたかめてゆかなければならないということがいえると思います。
 ファシズムとの闘いは、こんにち世界各国で全面的な歴史の課題となっています。第二次大戦の結果は、世界に民主的勢力をより大きくしました。けれどもファシズムはこの地球から消されていません。最後の段階として資本主義が存続しつづけるかぎり、ファシズムは生きています。生活のこまかいこまかい根にまで寄生している封建思想と小市民的な動揺と、それを餌に育つきのこ[#「きのこ」に傍点]のようなファシズムと闘ってゆくために、わたしたちは民主民族戦線という大きい筋を必要に応じてどんなにもこまかく生かしてゆかなければならないと思います。そしてファシズムと闘う文学活動について考える場合、いきなりぱっとジャーナリスティックな敏感さでフランスのレジスタンスの作家たちというような飛躍をするだけでなく、本当に闘う者の腰のすわりで階級的通信活動という形の小さいしかし機能の大きいものにまでほりさげて感覚し、実践してゆくことこそ具体的なファシズムへの抵抗と勝利の道であると信じます。
 わたしたちは生活の間に喜びとはげましのこもったやさしい慰めとを求めています。文学はこれに答えるものとして求められています。美しいものを感じたいわたしたちの気持、やさしさを受けとりたいわたしたちの人間らしさ、そういうものがわたしたち自身の表現をもつことなく、与えあうことがなく、肉体の文学ややくざの世界の物語のどぶの中に流されてしまうとしたら何と悲しいことでしょう。ファシズムの持ち前である生物的な同時に権力的な幻想の世界は、一種のロマンティシズムのようにあらわれて若いひとびとを戦場にかりたててきたことをみてきました。ファシズムとの闘いには、こういうやわらかい人間の心をわたしたちが正しい方向にもりたててゆく文
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