平和運動と文学者
――一九四八年十二月二十五日、新日本文学会主催「文芸講演会」における講演――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)啖呵《たんか》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)今度は文化活動へ[#「今度は文化活動へ」に傍点]
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私は体を悪くして、去年の夏から、いろいろな講演をお断りしてまいりました。けれども今日は昨日と今朝の新聞を見まして、どうしても、一言皆さんと一緒に話して考えたいことがあったものですから、いわば少し無理をしてきているのです。大変失礼ですけれども腰掛けさせていただきます。
今日、私どもが、自分達の生活を少しでも民主的にして、文学も人間らしい文学を作っていきたいと思っております時に、昨日や今日の新聞は私たちに何を感じさせたでしょうか。戦争が済んでからもう三年たち四年目になりつつありますが、その年の終りに極東裁判が終結しまして、そうして七人の首謀者達は処刑されました。一応それでもう日本のいままでの十数年間続いていた暗い、重い、人間らしくない、私どもの命も生活も文化も自分たちに確保されていなかった生活は終りがきたようにみえますけれども果してそうでしょうか。昨日と今朝の新聞を御覧になった皆さんに聞いてみたいと思います。あの新聞を御覧になった皆さん方は一九四九年という年がほんとうにはっきりと、より民主的な日本に進みつつあると期待おできになったでしょうか。私はそうは思わなかったのです。なぜかと申しますと、たとえば新聞は処刑された東條の葬式についてあれだけ、いわば華やかに写真を載せております。それから処刑された人の家族にいろいろの話を聞いてインターヴューしております。特に東條の家族はなんといっているでしょうか。「お父さんは死んだのではありません、生きたのです、なぜならば、彼は最後まで信念を守りましたから」といっております。それが、民主国たろうとする日本の新聞に出ていることにおどろかない人があるでしょうか。同じ新聞は、極東裁判においてその人の侵略戦争に対する謀略が有罪と判決され、処刑さるべき宣告をのせた。つい先頃のことだったのに、きのうは、日本のすべての新聞が戦争謀議責任者の家族のインターヴューをのせています。これはどういうことを意味するでしょうか。それは結局東條は死んだのではない
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