いられないものが、わが胸に鳴っているという希望によって書いているんです。平和という仕事もその通りです。現代の歴史ではファシズムとの闘いをぬきにしては私たちの基本的人権はもちろん文学をつくってゆくすべての人間的可能のまず第一のところ――生きて判断して、表現してゆく自由が守れない。つまり私たちの命、私たちの人生そのものがついこの間までそうであったように私たちのものでないようになってしまうわけです。今日そのことについて知らない人はないし、そのことを思わない人はなくなりました。それだからこそ、世界に平和擁護運動がおこっているし、日本に「日本文化を守る会」「民主主義擁護同盟」等があり真に文化を守ろうとする人が、民主民族戦線に無関心ではあり得なくなっているのです。
 今日ここに来ていらっしゃる方々は、なんかの形で文学を愛好している方でしょうし、民主的な新しい文学を書こうと思っていらっしゃる方も多いでしょう。そういうわたしたちがファシズムに対して闘い、平和を守り、新しい自分たちの才能をもこめて自分というものがほんとうに社会的に生かされてゆく社会をつくってゆくためには何をしなきゃならないか、ということは、もうくりかえす必要がありません。それははっきりしています。わたしたちはわたしたちの人民としての人生を守り、主張し、うちたてるのです。ファシズムに対する戦いは、すべての組織においてあらゆる方法で具体的に実際的に行われなければならない。労働組合でも人民の政党によってもわたしたちの日常的な行動のすべてにおいて、行われなければいけない。それについてここに一つの新しい提案があるのです。
 文化の社会的基礎は経済問題であり、同時に政治問題であるから、その文学の社会的基盤の向上のために文学を愛好する人はたとえば組合なら組合の活動、政党なら政党の活動に積極的に結びつかなきゃならないということまではこれまでもいわれて来ました。それはもっともだし当然です。だけれども、どういう形で結びついてゆくかというこまかいことになると、皆さんにも煩悶がおありになると思います。もし煩悶がないとしても、組合の仕事などとの間に何かの不一致、何か気持のぴったりしないということなどが、しばしばサークルにいる人たちの間などで問題になっています。民主的な小説を書きたいと思っている、だけれども労働者には時間がない、組合の活動は積極
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