ればそのうちに育て鍛えられる新しい人民的自己というものの確立はありません。ですから、さっき一番始めに申しましたように安倍源基が市民生活の中へまぎれ込んで来るとか、にせ気違いかなんか知りませんが、東條の頭を叩いて松沢に行っていたファシズムのイデオローグである大川周明が全治したとかいうとき私どもははっきりとファシズムは生きていることを知りそれに対して闘って自分たちの民主的なすべての可能性を守らなければならないのです。これは、わたしたちの義務です。もしわたしたちが基本的人権を主張する権利を認めるなら、その権利を守るためにたたかうということは当然の義務であり、云わば権利そのものの表現です。私ども正直でつつましい人民すべてが世界の平和を愛し、恒久的な平和を守ろうと決心した場合には、ちょうど私どもがいいことをしたいという時と、やりかたが同じだと思います。いい一つのことをするには悪いことと闘っていかなければならないとおり、平和を守る場合には、必ず、平和を乱すあらゆる条件に対して、はっきりとその本質を見きわめ、理性的に聰明につよく闘っていかなければ平和は守れない。
 文学的創作は一つの社会的行動でしょう。書くということは社会的な行動です。書く時に私どもはなんのテーマもなく書くでしょうか。まず第一に自分たちの書きたいと思うテーマをしっかりとらえようとします。われわれの頭のなかにはいろいろの問題があって、くれにさしかかっている今は今年の正月は餅が何枚つけるか、蜜柑が買えるか、ボーナスがいくら貰えるだろうか、貰ったらどう使うか、また靴の新しいのを買わなければならない、いまはいている靴は底がぬけたとかいろいろな考えが頭にあります。そのなかで靴の底が抜けたから新しい靴を買わなければならないというテーマについて書きたいと思うときは、ほかのことは一応整理して、どけなければならない。それから、第二段のこととして私どもがものを書こうとする場合には、自分の未熟さにも抵抗して、全力的にそれとたたかってゆかなきゃならない。表現のむずかしさ、読む人に書こうとしていることがよくわかるように書いてゆくためには、自分のあらゆる貧弱さにも抵抗しなければならない。働く人は時間の少いという条件ともたたかっているのです。そういうさまざまの抵抗とたたかいながらなお且つ新しい文学が生まれようとしているという希望、何かいわずに
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