んとうに満悦している写真があったように、その人とすれば悪い人でもないし、不幸にも人間ばなれした偶然の境遇に生きてきた人でしょう。しかし主権者として、わたしたちと同じ人権に立って存在している正常な人格なら、天皇が侵略戦争について責任無しなどということはない筈です。責任なし、ということを宣言されてたとき、彼はたいへん喜んで、よろしくお礼をことづけてくださいといっていました。が、あれはつまり、天皇というものは法律の上でも無能力なものであるということを自分から承認したことであり、どうぞこれからも悪しからずという挨拶です。天皇という地位にうまれた一個の人を無人格な者にするのならば、天皇制なんかはこの点からもない方がいいものです。普通の人間になって生きられるような社会を作ってやらなければ皇太子だって可哀想です。英語ばかり話せるようになったって、大事なことはなんだってアイ・ドント・ノー、アイ・ドント・ノーではね。しかしそういう社会は、天皇制をくいものにして、旧権力を温存させようとしているものには決してつくれません。人民がつくる力をもっているだけです。ブルジョア文学の旧い「自我」の限界は志賀直哉のような文壇的自我が、それほどの横這いを横這いと思わなくなっている、というところに、はっきりあらわれている。天皇制を批判したりするものに娘を嫁にやらないなどと、世間のおやじが酔っぱらった時にあぐらをかいていうような啖呵《たんか》を、文学者としていえるということは日本の過去の社会感覚の中で「自我」がいかに低い内容をもち、いかに封建的であり、隷属的であるかということをはっきり私どもに知らせていると思うのです。
 おくれて、しかも速く進む日本の歴史の中ではブルジョア民主主義と人民的な民主主義と並んで重って或る期間進展してゆくから、人民民主主義を否定しようとするなら(社会党にいたるまでのすべての保守陣営がそうであるように)いや応なく反人民的になり、国際的ファシズムに結ばれなければ、その一環とならなければ、資本主義としての存在が保てないところへ来ています。国際的にそういう風に歴史が前進しました。ですから私どもが新しい民主的な人民生活をつくりつつそのなかで新しい人民的な内容での自我を確立させていくということは、結局勤労階級の推進力が確立しなければできないことなのです。働く人民の生活安定と自由と建設がなけ
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