、というよりもむしろ配列した頭脳的な作品であった。が、「抒情歌」はその反対に、科学を追いつめて淋しくなった人間の心が、その逆の霊魂のことに慕いよる、というモティーヴによってかかれている。これは「水晶幻想」の作者として一つのリアクションを示した作品であった。「水晶幻想」と「抒情歌」の間にあるこの性格は折から一九三一―二年のプロレタリア文学運動の高まりとその弾圧を背景として、ただこの作家ひとりのモティーヴが、あれから、これへ、とびうつったこととしてだけは見られない。文学史的な客観において、この二作は、一つの研究の対象ともなり得る。当時のわたしが「抒情歌」の異常な心霊ごのみに、同感できなかったのは、あながち、わたしのおさなさと素朴な世界観、文学からだけのことでなかった。こんにち、川端康成が、ファッシズムに反対する立場をあきらかにしていることは、すべての人の知るとおりである。
神秘主義がファッシズムとの間にもっている危険な関係は、ナチスの美学がその後あらわにしたように、現実からの逃避や、主観的観念性、幻想の壤土となるからである。現実での暴虐、流血を神秘主義に色どって、その強烈さで、理性を麻痺
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