ーロン」を書いてロマン主義へ逃げ込んだ牧野信一にしろ、この「抒情歌」の作者にしろ、ブルジョア・インテリゲンチアが政治的危機においては、その紛糾をいとわしいものとして避けようとする意図しかないにしろ、客観的には自覚された悪意はないにしろ、階級的にどういう危険に誘われるものであるかということをまざまざと示しているのだ。

 後記[#「後記」はゴシック体]
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 一九四九年四月。選集第十巻に収録するためにこの文章をよみかえした。そして、作者と読者とのためにこんにちでは、短い附記の必要を感じた。川端康成は一九一四年(大正三年)ころから作品をかきはじめ、一九二二年(大正十一年)「伊豆の踊子」によって、独特な抒情性のきよらかさと描写の美しい明瞭さを高く評価された。一九三二年「抒情歌」の書かれる前後、この作家は新感覚派に属していた。一九三一年の「水晶幻想」はこの作家の創作系列の中で風の変った一作であり、新感覚派的手法の試みであり、またこの作家の資質にとって不自然な作品の一例とみられる。「水晶幻想」は即物的な表現のうちに、素朴な唯物的実在の感覚と心理のニュアンスを綯《な》いあわせた
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