暇にまかせて追求し主観の転廻のうちに実現と美を構成しようとしたのが「水晶幻想」であった。
現実逃避の文学
――神秘主義とファッシズム――
「水晶幻想」と「抒情歌」との間には一年の歳月が流れている。しかも一九三一年は、日本をこめて資本主義世界の一般的経済恐慌が、金融恐慌にまで発展したすさまじい一年間だった。
特に一九三一年の後半期は、ブルジョア独裁がブルジョア文化の全機能をひきいてはっきりとファッショ化した点で、日本の歴史的モメントであった。
支配階級とともに急速にファッショ化したのは、大衆作家直木三十五や三上於菟吉ばかりではない。川端康成もこの「抒情歌」で、ファッシズムのために道をひらく危険にさらされている。
そういうと、びっくりして抗議する者があるかもしれない。おいおい、そう何でもファッシズムで片づけるな、わるい癖だ。川端康成はファッショなものか。二月の『改造』を見ろ、「わが犬の記」というしごくおだやかなものを書いている。由来、犬を飼って愛すようなものは幾分哲人の風格をおび、たとえばモーリス・メーテルリンクでも、すばらしい犬の物語を書いて
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