舞台である。未組織の、ひどい労働強化が行われはじめた印刷工場にだんだん組織の手ののびてくるいきさつが書かれている。
工場内で好きなものだけ集まってやる文芸同人雑誌のグループ=文化活動が、どんなプロレタリア解放運動のための役割を演じるものかということもとりあげられている。だが、ずっと二篇を一貫して読んで感じるのは、徳永直がこの小説で何か新しい試みをしようとしている、しかもそれが成功していないということである。
第一、二篇の小説で徳永直は場面の九十九パーセントまでを印刷工場内部においている。これはドイツのプロレタリア作家ブレーデルが彼の傑作「NウントK機械工場」でもやった扱いかたである。
プロレタリアートにとって工場での生活こそ中心である。そういう意味で徳永が印刷工場内の生活に重点をおいたということは理解される。
問題は、その工場内の大衆のこまかい日常生活、動揺、闘争がどの程度までその時の資本主義、日本全体をゆるがしている一般的経済恐慌の具体的あらわれとして把握され描写されているか、という点にある。その工場内の闘争が、ひろくは世界プロレタリアートの革命的高揚の一環としての意味をつか
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