院主及びそれをとりまく一群の現代的腐敗、堕落を逆流として身にうける志摩の技術的知識人の人間的良心、能動性の発展の過程に在ることは明らかである。単なる事件、人事関係、デカダンスの錯綜追跡の探偵もの風な興味が主題ではないのである。真面目な意図をもつ小説にどうにかして目新しさ、面白さの綾をつけようと、作者の努力をついに逸脱させるまで暗黙に刺戟しているものを、文学の大局から何と見るべきであろう。読者にとっても作者にとっても、新しくないのに未だ本当の解答は出ていない一つの大きい宿題である。
舟橋氏の技術的知識人としてのヒューマニズム、能動性の展開の方向がこの作品で読者の関心の焦点となる所以は、二三年前、雑誌『行動』によって当時の文学的動向に能動性、行動主義を提唱したのが、ほかならぬこの作品の作者であったからである。そして、その主張の作品行動として「濃淡」が発表されたのであったが、やがてその創作と提唱が中絶して、今日に至ったのである。
二年を経て現れた今日の「新胎」は、ある意味でハッピー・エンドの小説である。「冷酷聰明な科学者の態度」から「技術的知識人の生活と医学的ヒューマニズムのために」「
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