「新胎」という舟橋聖一氏の小説(文学界)を読みはじめて、ああ、これはいつぞや『行動』か何かで読んだのに似ていると思った。編輯後記を見たら、旧作「濃淡」に骨子を得云々とあり、作者もそのことを附記されている。
 旧作が生憎手元にないので比較して作者の新たな意企や技術の上での試みを学ぶことが出来ないのは残念である。「新胎」について技術的な面で感じることは、現実の錯雑の再現とその全体の確実性の強調として、作品の上で、科学的用語や保険会社の死亡調査報告書、くびくくりの説明図などに場所を与えすぎることは、寧ろ却って読者の実感を白けさせる危険があるのではないかということである。探偵小説はしばしばこういうリアリティーの精密そうな仮普請をする。それが科学的に詳細であり、現実らしい確実さがあればある程、読者はその底にちらつくうそへの興味を刺戟される。舟橋氏が、この「新胎」というある意味での現代図絵に、そういう面白さ[#「面白さ」に傍点]も加味しようと意識されたのであれば、やはりその面白さ[#「面白さ」に傍点]の試みは、作品の真のテーマと游離した結果になっている。この小説で作者の語ろうとするテーマは、朝田医
前へ 次へ
全15ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング