、ただ受け身のプロレタリア芸術消費者ではなくなりかけて来たほど、日本のプロレタリアの力は、高まった。芸術を生産するものが、芸術の生産者が生れはじめた。
 これまで、作家は革命的プロレタリアートの実生活の中から題材をとって来た。それをこっちで作品にまとめて、再びそれを大衆の中へ逆輸入していた。いわばプロレタリア芸術の植民地関係だった。一九三一年の「ナップ」の方針が実現された時、この初期的な現象は、最も健康な脱皮で清算されるわけだ。
 労農通信員を含む大衆は、どこにいるか。工場にいる。農村にいる。再びスローガンを。
  ┌────────────────────┐
  │文学運動の基礎を全国の工場へ! 農村へ!│
  └────────────────────┘
 闘争の現実がプロレタリア作家の関心を呼んでいる農民文学の課題。植民地、移民地における芸術運動の問題。こういう重大な、根づよい活動と明確な世界観を必要とする課題は、全体の芸術運動の根がしっかり、それぞれ生産の場所にあるプロレタリア大衆の中へ張ってはじめて、階級的に、生き生きした綜合力で芸術化されて来るに違いない。
 プロレタリア解
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