近代の歴史にさらされている支那の悲劇とは全然ちがう現代アメリカの高層建築的悲劇を見出しているのである。ホームの「自覚された鋭い正直さ」というものをもたない人柄に対する妻のキットの精神的苦悩も、その悲劇への抗議としてまた敗北として、バックは誠意をもって辿っている。
「アメリカの悲劇」が更に発展し高度になっている現代の局面をバックは内面からとらえた。そして非常に心をひかれる点は、この「山の英雄」のもっている作品として体質がいかにもバックのアメリカの婦人であることを思わせる量感に溢れていることである。「母の肖像」(今は「母の生活」という訳名で出ている)もそのことでは極めて独自な生命にみちた興味ふかい作品であった。しかし、私たちの心をうつ今日の感想はバックが「大地」をかき得たのは、大なる地の脈動を自身の体のなかにもっているというその内奥の近似が、彼女の人間生活の諸相への愛と理解との根底にあったからだと思う。
「イアリング」のようなアメリカ文学としてみれば珍しいリリシズムで貫かれている作品にしろ、フランスの文学にある自然への抒情性とは全くちがったむーっとして遠くひろく際限のない地平線にとりまかれ
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