クライドにとってのりこえられなかった貧富の堰《せき》ものりこえる代りに、人間としての生活の自主を全く喪って、英雄業者として四六時ちゅう行動を掣肘され支配され、ハリウッドのスタアのような人為的雰囲気で生存しなければならない悲惨を、バート・ホームと妻キットの性格の相剋と絡めて描いているのである。
 この小説は「アメリカの悲劇」が書かれてから三十年経っている今日のアメリカ社会の性格をとらえていて、社会の歴史の動いて来ている姿がまざまざと理解される。アメリカの所謂名門旧家の人々が、いつしか社会の推移につれて教会の神のほかの神々である金力のほか有名人という気まぐれな神にも支配され奉仕するようになって来ていること、しかもそこにアメリカ的実務性にしたがって有名人製造というビジネスの存在する有様を、バックは描き出しているのである。
 永年支那に生活して「大地」をかき「戦える使徒」「母の肖像」をかいたパール・バックが、アメリカにかえって、新鮮な感受性と観察と批判とでそこにある社会生活に目をやったとき、この人間を不幸にする刻薄な神の働きを見出したのは深い意味がある。バックはそこで原始的なものの上をいきなり
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