林の思惟の発展を批判するにあたり、亀井は今はただしく理解したという林のいう具体的な内容の検討をぬきに「この言葉の限りでは彼のいうことは正しいのである」と先ず断定している。然し、林が「正しく」プロレタリア文学を理解したと思っていたその理解がただしいものでないことこそ筆者をして「偏向に対して」という一項を書かしめているのである。
「第二の自己批判」のところで、林の日本のブルジョア文学の発達に関する意見がとりあげられている。「日本におけるルネッサンスがプロレタリア・ルネッサンスでなければならぬ」という意見を支持し、「トルストイやドストイェフスキーやゲーテというような大作家は日本人の手にかかると[#「日本人の手にかかると」に傍点]実際の価値の十分の一ぐらい小さな作家になってしまう」と述懐した森鴎外に亀井は賛成している。そしてこの鴎外の言葉は、「我々が日本のブルジョア文学者だけを相手にしていたのでは決して文化の世界的レベルをあらわすような文学を生み出し得ない」という教訓をわれわれに与える。「十分の一」のものを「十分の十」のすがたに返し「正しいすがたの中から真に価値あるものを学びとるという仕事は」
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