る。亀井勝一郎の「林房雄の近業について」と徳永直の「林の『青年』を中心に」とである。亀井の論文は林の近業をとおしてプロレタリア作家としての林の最近の発展について論じ、作家林を核心とし一般プロレタリア文学および同盟の問題にもふれている。
 亀井の論文はおそらく忽卒の間に書かれたものであったろう。一応林の発展の方向がこんにちの国際的な階級闘争の重大なモメントから逸脱したものであること、階級的分析に対する無関心が諸作に現れ、それは林が「あらゆる非文学的なもの、卑俗なものから純粋になろうと努力」したが、その努力が「階級闘争の新たな段階の中で」されず「文学の党派性のかわりに、文学の純粋性が持ちこまれている」結果になったことを指摘している。
 けれども、この論文には、筆者自身が生活と思考との中でまだ十分にこね切っていない、種々の理解がやや皮相的に持ち出されている。たとえば「第一の自己批判」の部でこういう部分がある。「ぼくはプロレタリア作家の一人として政治と文学という二つのポールのあいだをぐらついていた」という林の文章を引用し「ぐらつきと自卑の原因はぼくが文学をただしく理解していなかった」云々と続く
前へ 次へ
全19ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング