手した意気に対して敬意を表すと同時に「青年」が一九三二年の封建的軍事的絶対主義日本における階級闘争が帝国主義戦争によって一層切迫した現段階において、特に近づきつつある人民革命の歴史的意義を規定する明治維新から取材し現実の闘争のもっとも必要なモメントとして描かるべき歴史小説としては、方法論的に不充分であり、階級性が稀薄であるという結論に概括される。
「青年」に対して、林はブルジョア文学、ジャーナリズム陣営からは褒められ、称讚され、プロレタリアの陣営からは疑問と批判とをもって迎えられた。砕いていえばあっちではいいといわれ、こっちでは悪いといわれたのである。けだし、あっちでいいといわれた理由が、「青年」のたくましい革命的迫力によって敵ながらあっぱれなものであると現代日本のブルジョア反動文学者群の世界観を局部的にでも撃破克服した点にあるのではなく、逆にプロレタリア文学の中からでもこれくらい俺らの口にかなう作品も出るのだと、彼らに卑小な自己満足を味わせた点に根拠している以上、そのような称讚は林にとってまさに屈辱であらねばならぬ。
『プロレタリア文学』十月号には林の創作に関して二つの論文がのってい
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