境遇におかれる以前に、林はもっともっと基礎的な多くの勉学をプロレタリアの前衛として身につけておくべきであったろう。そしたら、不自由な読書の中からも掴むべき線は失わずに掴んだであろう。然し、これは、そうあったらよかったということに過ぎず、今日の激化した情勢のうちで誰がそのような十分の土台をつくり得た後、敵の襲撃に具えるということができよう。われらは、不意に、陰険に、不条理に短期間、あるいは長期間自由を奪われる。林は、二年の間、そのようにプログラムをもって読書してもなおかつレーニニズム的発展は十分なし得ないような書籍しか自身に許可しなかった支配階級に対して、かつて一度の憤りをも感じたことが無いであろうか。
「青年」が考証だおれであること、革命的作品ではないこと、そのような批判をうけることは林にとっては口惜しいであろう。そのような批判を避け難いと理解するとき、批判する者の舌はにがいのである。おなじくくちおしさで苦いのである。いわば無駄に読まされた百巻の書籍に対して林のために憤怒し、正しい知識を圧殺する野獣的暴圧に対してプロレタリア作家として血の熱するのを覚える。林房雄は作品に対する批判をまと
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