ちろんですが。自身が三行以上読んだことのない小説についてどうしてその内容につき、階級的価値について断言することができるでしょうか。
  わたしの文学作品の階級性については、一九三一年ソヴェトから帰ってプロレタリア作家同盟に参加してから今日までの全作品と全評論とを冷静に検討すれば、基本的解答は明らかだろうと思います。もちろんそれぞれの作品には、出来、不出来もあり、むらもあるけれども、それらを一貫して明瞭な階級性があるから、度重る検挙投獄と執筆禁止を蒙ったと思います。戦前の作「乳房」は、ソヴェト世界革命文学の集に翻訳され、戦後の「播州平野」は、ソヴェトの文学新聞に、日本で広汎に支持されている階級的作品として紹介され、中国語にもほんやくされています。この事実は何を語るでしょうか。「播州平野」「風知草」の基調にあるものが前衛党とその活動家の新しい情勢のもとにおける一つの姿を描いていることは、いくらかでも文学を理解する人ならば否定し得ない点です。
  また「二つの庭」「道標」は古い小市民の有閑的な日常茶飯事を描いているものではありません。女主人公が社会矛盾にめざめて次第に共産主義者へまで成長して
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