あげたいけれど、あんまりのぞみがないわ」
「いいさ。寒けりゃいくらでも着られるだけ結構なもんだ」
ペンをもったなり口を利いていた重吉は、又つづきを書きはじめた。長い年月、ほんとうに温く、人間らしくあついものを食べることもなく暮して来た重吉は、今のところ、何でもあつくして、それからたべるのが気に入った。揚げたての精進あげまで、
「やくと、なおうまいね」
電熱のコンロに焙《あぶ》ってたべた。
「あつくしようよ」
おつゆでも、お茶でも、生活の愉しさは湯気とともに、というように、あつくするのであった。ひろ子には、そういう重吉の特別な嗜好が実感された。さっき、コンロに湯わかしをかけたとき、
「たしかに俺はこの頃茶がすきになったね」
重吉が、自分を珍しがるように云った。
「もとは、ちっとも美味《うま》いなんと思わなかったが……」
「この頃はみんなそうなのよ。ほかに何にもないんですもの。お茶の出しがらの葉っぱ、ね。あれを、はじめの時分は馬の餌に集めていたけれど、あとでは人間もたべろ、と云ったわ」
「僕はなかでくったよ、腹がすいてすいてたまらないんだ」
暫く仕事をしつづけて、ひろ子によみとれない箇所が出て来た。
「これ、何処へつづくのかしら」
下から消しの多い草稿をさし上げて見せた。
「ポツダム宣言の趣旨に立脚して……その次」
行を目で追って、
「ここだ」
重吉は、もっているペンで大きいバッテンをつけて見せた。
「今後、最も厳重に――」
「そこまでとぶの? 八艘《はっそう》とびね」
二人は又無言になった。写し役のひろ子の方に段々ゆとりが出来て来た。晩の支度に階下へおりたり、お茶をいれたりしながら、仕事をつづけ、重吉は、わきでひろ子がそういう風に時々立ったりすることがまるで気にならないらしく、ゆったりとかまえ、しかも集注して、消したり書いたり根よく働いている。
頬杖をついて、ひろ子はその雰囲気にとけこんだ。こんなに楽な、しかもしっとり重く実った穀物の穂をゆするようにたっぷり充実した仕事のこころもちを、経験したことがあったろうか。襖のあいている奥の三畳へ視線をやって、ひろ子は暫く凝《じ》っとそっちを眺めていた。北側の三畳の障子に明るく午後の日ざしがたまっていて、その壁よりに、一台の折りたたみ寝台が片づけてあった。三つに折りたたまれて錯綜して見える寝台の鉄の横金やとこ
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