飛んで来る。来る! 来る! 来る!![#「!!」は横1文字、1−8−75] そして一瞬の間にイレンカトムの目前を通ってしまった。
 咽《む》せそうな塵埃《じんあい》の雲を透して、なおも飛んで行く豊坊の、小さい帽子に向って、イレンカトムは思わず、
「ウッウッーッ!」
と声を出しながら拳を握って四股を踏んだ。それから、溶けそうな眼をして、ソロソロと長い髭を撫で下した。
 斯様にして、当分の間はイレンカトムも、仕合わせな年寄《エカシ》であった。
 僅かの間に、豊坊の身なりはめきめきと奇麗になって来るし、馬の扱いは益々手に入って来る。
 体もぐんぐん大きくなって、どことなく大人らしく成熟《ませ》た豊は、離れて暮さなければならないイレンカトムの心に、唯一の偶像であった。
 実際、大胆で無智で、野生のままの少年は、その容貌なり態度なりに、一種の魅力を持っている。確かに醜くはない。
 澄み渡った声で悪口を云いながら、ちょっと左の方へ歪める意地悪そうな真赤な唇。いつも皆を鼻で遇《あしら》うようにジロリと横目を使う大きな眼。それ等は色彩の濃い、田舎のハイカラ洋服ときっちり調和して、狭い御者台の上にパッと
前へ 次へ
全41ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング