って来る馬車が、いつもとは違う御者を乗せているのを発見した。
イレンカトムは、幾年振りかで強く鼓動する胸の上に腕を組みながら、ジッと瞳を定めて見ると、確かに! 御者は紛うかたも無い、豊坊である。
いかにも気取った風で、鞣革《なめしがわ》の鞭を右の手で大きく廻しながら横を向いて、傍の客と何か話している彼の洋服姿は、愛すべきイレンカトムの心に、いかほどの感動を与えたことだろう。
笑う毎にキラキラする白い歯、丸い小さい帽子の下で敏捷《すば》しこく働く目の素晴らしさ。
見ているうちに馬車はだんだん近づく。
そして、彼の立っている処からは、一二町の距離ほかなくなった。
すると、今まで傍を向きっきりだった豊は、迅速に顔を向けなおすやいな、いきなり体を浮かすようにして、
ホーレ!
と一声叫ぶと、思い切った勢で馬の背を叩きつけた。
不意を喰った馬は堪らない。土を掻いて飛び上ると、死物狂いになって馳け始めた。
小石だらけの往還を、弾みながら転がって行く車輪の響。馬具のガチャガチャいう音。
火花の散るような蹄の音と、巻き上る塵の渦巻の上に飛んで行く騒音の集団の真中に、豊坊は得意の絶頂で
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