余り人を馬鹿にしていると思ったイレンカトムが、少し腹を立てて、
「お入りと云ったら、どうして入らないのか?」
と、アイヌ語で云いながら、もう一遍戸口に出て見ると……これはどうしたことだ、今の今まで声のした二人は、もうどこへか隠れて、後影も見えはしない。
はて! これはどういうことだ?
彼も少なからず不審に思った。
いろいろ考えて見ても、どうしても、若い男と女とを見たのは確かである。女が紫色の小帯をしめて、重ねた上の方のどの指かに、白い指環のあったのさえ見たのだから……
その日は、それなり、妙なこともあるものだですんでしまった。
ところが、それはその日だけでは済なかった。翌日もその翌日も、彼は声を聞く。或るときは四五人の者が来たようであり、或るときは十人以上が群れているように聞えるときもある。
アイヌ語や日本語で、だんだんはっきりと意味の聞きとれる言葉を喋る。
それも、決して、行儀よく話すのではない。どこかずうっとY岬の先の方から、風と一緒に喋りながら、やって来る。そして、小屋の周囲を馳け廻ったり、小屋の中を跳び廻ったりしながら、イレンカトムの「胆の焼ける」ようなことを、
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