S山と云うのは、ずうっと海岸に近い処で、彼はそこにも土地を持っていたのである。
 山本さんの息子や、宿っている学校の先生等は、ただでさえ淋しいのにあんな処へ独りぼっちで引籠っては良くないと云って止めるにも拘らず、イレンカトムは、是非そうして下さいと云って聞かない。
 そこで終に、今までの家は貸家にして、S山に新らしい小屋を建てることになったのである。
 すっかり昔のアイヌ振りで拵えた小屋の、北と東は雑木の山続きで、東側は十六七丁先きの方で、美くしく海に突き出たY岬になり、西には人家へ降る小山やまた、他の遠い山々の裾に連っていた。
 そして、南側には彼の飲料水を供給する澄んだ小流れが、ササササ、ササササと走っている。その他には何もない。この寂寞《せきばく》のうちに、四方を茅で囲った新らしい小屋が、いかにも可愛い巣のように、イレンカトムと、二代目の黒とを迎え入れたのである。
 彼は、思い付く毎に小屋の戸口に立っては、足跡で踏み堅めた小道の方を眺める。また或るときは、彼方の小山に昇って、遠く下を通っている往還を眺める。
 沢山の荷馬が通ることもある。
 勢のいい自転車が、キラキラと車輪を光
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