きかかし」の別名かもしれないのである。
 演技の前提としての人間的確立などということは、近代の芝居道ではおどろくべく古い云い草なのだろうと思う。きくまでもない、と思われるにちがいない。けれども、日本の社会は、全体が、分りきったこと、云われるまでもないことが、又改めてとりあげられるべき時期にある。新民主主義という日本の面している歴史の段階は、そういう時期なのである。演劇の世界が封建的なしきたりからぬけ切っていないことは土方与志さんのような世界を歩いて来た演出家でさえ、日本の今日の芝居の社会で口をきくときは東宝さん、何々さん、と昔風な仁義の口調をつかっておられるのを見てもわかる。文学の分野はすこし前進している。改造社さんとは云わないで通るようになっているのである。しかも、一方に、急テンポな近代資本主義化が進んでいて封建的にきりはなされ、格式だおれな心理になりがちな俳優たちの生活が、欧米式自由競争、契約の方法にきりかえられようとしている。そういう社会的な波瀾に対して、俳優の生活は、どんな一致した結集力、芸術擁護の実力をもっているのだろうか。俺ぐらいの俳優になれば、或は演出家その他になれば、ど
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