流的まとまりのついた芝居をやったかもしれない。ところが、その俳優の役は、生活態度のふっきれない、決断のしにくい、社会現象のうちにある歴史的な意味や価値をすぐつかめない崩れた感覚の若者であってその人物の性格が、俳優の現実的人間性と絡んで、大きい困難を呈出した。その若い俳優は、自分の精神と肉体とでその崩れやすい人物を十分に描き出そうとすると、どうにもかくせず、俳優自身の生活のくずれがその鉤にひっかかって表面に釣り出されて来たのであった。内面的に、そして行動の上で動揺する人物を描き出すとき、俳優としては一個の確立した人間的存在でなければ、それが描き出せないという事実は、実にわたしをつよく感銘させた。それは上手、下手の問題より、もっと根柢の課題である。人及び俳優として存在することの可能と不可能の問題である。
 文学の面にも、「確立した地位」をもっている作家たちは幾人もある。荷風など最もその例である。しかし、文壇というものがもしあるなら、或は読者の事大主義というものに立っていうならば、「確立した地位」は必ずしも、人間らしい地位でもないし、明日の保障をうけた歴史の前進に伴う地位でもない。或は「悲し
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