御用の芝居をもってあっちこっち打ってまわらなければならなかったろう。三浦環まで満州へ慰問に行かなければならない日本であったのだから。どの程度経済事情がわるかったろう? 文学の人のように、いい作家でも貧乏し、いじめられつづけて来たのだろうか。それとも、戦争によって益々卑屈に商業性を守ろうとした大資本に買われて、名優たちは金には困らず、芝居としては下らない芝居をして、とりまきからあがめられて来たのだろうか。芸術上に蒙る損傷の形は多様である。文学がジャーナリズム、出版企業に従属する面が多いから、戦争進行プラス企業の追随で益々低落した。劇壇の人々は自身の芸術的生涯と興行資本というものについて、どう考えるのだろうか。
手許にプログラムがなくて正確に云えないけれども、「プラーグの栗並木の下で」に一人、生活態度のフヤフヤな若い医者が登場する。その人物は性格の弱い、動揺的な人物として描かれているのだが、その役をうけもった若い俳優は、この人物を表現するのに非常な困難を示した。もっと機械的な、張りこの虎めいた勇ましい人物でも演ずるのであったら、その若い俳優はもっと空々しく、自分からつきはなし、型で、三
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