を動かして居る。「くるみ」を破《わ》り切ったので、今度は茶を出して美濃紙で張った「ほいろ」の様なものを、炉の上にのせた中にあけ火を喰わせ始めた。
折々手にすくいあげて少しずつこぼして工合を見る。ザラザラ……ザラザラ……と云う音にしばらくは菊太の低い声もかき乱されるけれ共、自信のある菊太はなお話しつづけ、その音が止《や》んだ時には又、ききともないその願事が、はてしもない様に続いていや応なしに耳に入るのである。
煙草の火が消え、茶にさす湯が冷《ひや》っこくなっても菊太はやめ様としない。
到々祖母は根まけが仕出す。
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「お前のまけて呉れまけて呉れには、ほんとうにいやになる。いつになったらそんな事を云うのを止めるんだろう。毎年毎年御前がいやな事をきかせない年はないじゃないか。あんまり不作で御前の手に負えない様なら、もう田を作るのをやめてもらおう。
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いやな顔をして祖母が斯う云い出すと菊太は少し力づいた調子で又繰返すのである。
祖母は若い時処々を歩いたのでいろいろな言葉を使う。けれ共小作人を叱る時、商人の悪いのを怒る時はきっと東京弁を使った。
ここいらでは東京弁を使う人には一種異った感じを持つ様な調子の村なので句切り句切りのはっきりした少し荒い様な東京弁は、小作人などの耳には、妙に更《あらた》まる気持を起させるのであった。
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「来年きっとなすなすと云って今までに十五俵も貸してあるじゃないかねえ。
あの上積っては、とうてい返せるものではないにきまって居る。そんな馬鹿な事は出来ない。いくら私が年寄りでも斯うして居るからには踏みつけられては居られ無い。
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祖母はいろいろと強い事を云う。
田地を取りあげるとか、返せなかった時にはどうするとか云うけれ共、菊太は只、哀願を続けるばっかりである。
私は、祖母の意地の悪い、菊太を眼下に見る様な様子を見ると菊太の子供等がこれを見た時の気持を想像した。
自分の父親は、女年寄の前に頭を下げてたのんで居ると相手は、つけつけと取り合わない様にして居るのを見たら、訳もなく、女は己《おれ》より目下なもの、弱いものと云う感じを持って居る子供等は、どんなににくらしい気持になるだろう。私は菊太の男の子に十三より上のがないと云うのが何だか心安い。他人《ひと》が聞いたら笑う事に違いない。
あんまり空想的な事だとは思うけれ共、両親の苦しめられると思う心がつのって小作の十八九の無分別な児《こ》が、鎌を持って待ちぶせたと云う事を聞いた事を思い出すと、何だかそんな気になるのである。
他人《ひと》の身ばかりではなく自分自身にも、甚助の児が小くてよかったと思って居るのである。
祖母は次の間に入って暫く箪笥の引出しを開けたりしめたりして居たが、出て来た時には手に帳面を持って居た。
帳面を始めっから繰って見て渋い渋い顔をした祖母は、
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「今度で十六俵だよ。
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と云いながら、何とはなし重々しい様子で菊太の前に箱すずりとその帳面を置いた。
菊太は幾度も幾度も頭をさげて、乾いた筆の先を歯でつぶしてうすい墨を少しつけて蚯蚓《みみず》の様な、消え消えな字をのたくらせて井出菊太と書いた下へ拇指を墨につけて印変りにする。
その間、祖母は一言もきかず、菊太の前にしゃがんでのろのろと動く手先から、まっ黒になった指を腰の手拭にこすりつけるまで見つめて居る。
書き終えて祖母の前に出すと一通り見てから、
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「良い眼でよく見て御呉れ。
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と私に渡す。進まない様に手をのばして遠くの方で見て「いいでしょう」と云って祖母に返すと、すぐ元の場処に仕舞いに行く。
菊太は、自分の希を叶えてもらった嬉しさに何となく輝いた顔になって、身軽に立って女中に消えた火をなおしてもらったり、茶をつぎなおしたりする。
祖母は気の毒なほどいやな顔をして炉の四辺《まわり》に艷《つや》ぶきんをゆるゆるとかけたり、あっちこっちから来た封筒を二つに割って手拭反古を作ったりして菊太の帰って呉れるのを待って居る。
あきるほど茶をのみ、煙草をふかしてから、
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「御暇《おいとま》いたしますべえか、
ほんとに有難うござりました。
来年はきっとなしますかんない。
お鳥もはあ、さぞ喜びますべえて、
お嬢様もはあ、有難うござりやした。
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と腰をあげる。腰を塵を取る様にパタパタと叩き三つ四つ頭をさげて土間の女中にまで何か云って庭の入口の竹垣に引っかけて置いた、裾の切れた、ボタンもない黒ラシャの茶色になった外套のお化けの様なものをバアッとはおって素頭でテクテクと歩いて行く。
中高な門内の道を出ると菊太はチョイと振り返って草の両側に生えて居る道を、ポコポコと小さいほこりの煙をたてて帰って行く。
甚助の家の方へ曲る頃、祖母はありったけのくさくさを私に打ちあける。
やさしく仕て居ればつけ上り、きびしくすればろくな事を仕ず、小作人なんかはしみじみ使いたくないものだと云う。菊太の女房はこの上なしのだらしなしやで、針もろくに持てず、甲斐性のない女だと女中まで、くさいものが前に有る様な顔を仕て話してきかせる。
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「菊太爺さんもずるい爺様ですない。
いつもいつも、どうにかして無理を通して行く。御隠居様も今度は、どうしても許してやんなけりゃあ、いいですっぺ。
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女中がこんな事を云っても、
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「ああほんとうにそうだよ。
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と云ったぎりその日一日祖母は、菊太の声と顔付とを眼先に浮べていやな思をするのである。
夜、湯に入りに来た構《かまえ》内の家を貸りて居る小学の校長をつかまえてまで今日の菊太の事を話した。
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「どうもなかなかうまくは行かんもんですてね。
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と云いは云ったが、菊太をけなすでも祖母に味方するでもなく気のない顔をして、飯坂の力餅をもじゃもじゃの髯の中へ投げ込んで、やがて「お寝み」と云って帰って仕舞った。
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「ほんとうに小作男なんか使うのが間違いだ。ああ、ああ、けっぱいけっぱい。
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床に入ってまで祖母はつぶやいて居た。よっぽどいやだと見える、気の毒な。
田地の事、作物の事、小作男の不平やら、思わしい収獲を得ない田畑の物などの話は聞いても、それは只、話す人の気休めのために話すので私に相談する事はない、私の聞いても喜ばない事は聞かずに居られる、幸福な事だ。
一俵まけてくれ、と菊太が願うのは祖母に向ってで私にではないけれ共、やっぱり祖母が思うと同じ様に、そんなに御意《ぎょい》なり放題にして居てはいけない、と思う。
何故そんなに、いつもいつもきっぱり出来ないんだろう、と思う。
私までが菊太に対してあんまり良い気持は持たない。私と同じ様に、女中だってやっぱり何となし、変な男だ位には思って居るにきまって居る。
祖母が、菊太の話を聞くのがいやで連れられて、私達まで何だか知らんが菊太は意くじのない男だと思う。斯んな様にして、家内の人数が多ければ多いほど、何だかいけすかない小作だ、と思う気持が大きくなって、男の気の早いのや息子でも居るとつい云わずとも良《い》い事まで云い、「ひやかし」の一つも云う様になってますます両方の間が不味《まず》くなるのであろう。
祖母は、「私はもうこの年になって、小作男を泣かせても気持の悪いばかりだから、盆、暮に金をやるのを一度にやったと思って居るのさ」と云って居るから両方で荒い声なんか出す事は決してなかった。けれ共、どうしても願い通りにしてやればつけ上る気味がある。
どうしたら小作がうまく上り、地主との気持が円く行くかと云う事は、よく考えるけれ共分らない。
一番、小作をさせないのが良いのだろうけれ共、資産のない、他人の田を働いて生活して居る者は、それを取りあげられたら、この上なくひどい目に会う事になるからこまるし、又地主にした処で小作をさせなければ、家に下男を置いて作らせなければならない。それも、借すほどの田を一人では仕限《しき》れないから小作をさせるより却って手間と費用がかかるわけになる。
小作男と地主とはどうしてもはなれられないものの様である。何にしろ、一方は取る方で一方は取られる方である。恐らく、年に二度収獲のある土地でも小作男はなろう事なら、一二俵はまけて慾しくて居るだろう。
ほんとに何かうまい事が工夫されないと困ると思う。
(四)[#「(四)」は縦中横]
随分と骨に通る様に寒い風が吹く。
家中で一番遅く起きた私は寝間着の上に、黒っぽい赤い裏の「どてら」みたいなものを着て、不精に手を袖の中にしっかりと包んで、台所の炉のわきに女中が湯をわかして呉れるのを待って居た。木の枝に火がついて立つ煙が目にしみてしみてたまらないので、
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「こんな煙っぽくっては眼に悪いねえ。
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と女中を見ると、崩れた薪をなおすために煙のまっただ中に首を突込んで何かして居る。こもった様な声で、
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「赤坊《やや》の時から、煙の中で乳すうて居ますだもの。眼が馬鹿になって居ますのだ。寒い朝ですない。風邪《かぜ》引きなさいますよ。
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若い女中は、私の横顔を何か、さがし物でもする様に隅から隅まで見て居る。
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「大丈夫だよ。今年は、冬が早く来る様だねえ。
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と云って居ると土間の処で、
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「お寒うござりやす。」
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と中年の女の声がする。女中が座ったまま、
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「誰《だれ》だい?
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と云うと、
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「己だが。
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と云う。
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「ああ、甚助さん家《げ》のおっかあか、お上《あが》んなね。
「畑さ行《いぐ》のよ、東京のお嬢様いらっしゃるけえ、ちょっくら呼んで来ておくんなね。
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女中はチラッと私の顔を見て、
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「お起きんなったばっかりだによ、着物でも着換えてからいらっしゃるだべ。
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と云って茶を入れ始めた。
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「何にしに来たんだろう。
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と思いながら大いそぎで着換えて土間の処へ行くと、鍬をわきにころがして、もじゃもじゃの頭をして胸をダブダブにはだけた四十近い様な女が立って居る。私の顔を見ると急に腰をまげて、
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「お早うござりやす。昨日は、はあ家《うち》の餓鬼奴等が飛んでもないこといたしやったそうでなし、御わびに来ましただ。
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と云う。漸くわけが分った。
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「わざわざ来なくったっていいのに、どこの子供だって悪戯はするもの怒ってなんか居るものかね、お前子供を叱ったろう、ほんとうにかまいやしない、大丈夫だよ。
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と云ってやると、女は気安そうに笑いをうかべながら、
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「お前様、今朝ね、お繁婆さんが来やしてない町さ行くが買《けえ》物はねえかってききながら昨日の事云いやしたのえ。一寸も知りましねえでない。御無礼致しやした。己《お》ら家《げ》の餓鬼奴等も亦何っちゅうだっぺ、折角、ねんごろにきいてくれるにさあ石なげるたあ。此間《こねえ》だも――
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と村校友達となぐり合を始めて相手に鼻血を出させたが、元はと云えばブランコの順番からで夜まで家へ帰されなかったと話して聞かせた。
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「御免なして下さりませ、ほんに物の分らん
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