さで、何も考えるいとまもなく急《いそ》いだ。祖母の顔を見るとすぐ、
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「甚助の家《うち》の児達は、ほんとうに、いやな児だ!
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と云ったっきり縁側に腰をかけて仕舞った。口に云われない安心が切り下げの祖母の姿と、さっぱりときれいなあたりの様子から湧き出て私の心に入って行った。
 私は何の不幸も知らない、世の中はいつでも親切なつもりの言葉は、親切な様に、情深い話はその様にばかり聞かれるものの様な気がして居る。
 又、それが、必[#「必」に「(ママ)」の注記]してそうばかりではないのも知って居ながら、実際、自分の親切な言葉をああした調子に返され、その上、後から小石まで投げつけられ様とは何だか不思議な様な気がした。
 人にねらわれた事のない私、ああやって、形に表われた様な事で小石の的《まと》にされた事などのない私はどんなに気味悪く思っただろう。私は甚助の子供の気持より、はるかに単純で臆病なのを知るのであった。
 彼の子供達は、私の親切な言葉のかげに何か、たくらみのあることを想像したのだろう。
 その体の良い仮面《めん》をかぶった悪いたくらみを深入りさせないうちに追いはらおうとしたのであろう。
 私は、ちょんびりも、そう云う気持は持って居なかったけれ共、彼等が生れるとから、両親が町の地主にいじめられ、いろいろの体の好《い》い「罠《わな》」に掛けられた事を小さいながら知り、それ等の憎むべき敵は皆自分達より良い着物を着、好い食物をたべて、自分達の使わない言葉を使って居ると云う事の記憶から、私をそれと同様のものにみなしたのであったろう。子供達が悪いのでもないだろうし、親が悪いのでもないだろう。只生活の苦しみが子供達までそんな悲しい気持にさせて仕舞ったのである。
 その根元から覆《くつがえ》して、世の外《ほか》へ投げやりたい生活の苦しみは、いつの世にあっても、人間が生活をして居る間は絶えない事であるのを思えば、生活の苦しみに打ち勝ち得る智力とそれにともなう肉体を持たないこの子供等と同じ様な気持の人が幾百人、幾万人、また無窮にこの世に生れては死し、死しては生れしなければならないだろうと云う事も思うのである。親切を親切としてうけ入れられない事のある世の中、それは実に悲しいことである。この様な、世に出てから時の少しほか立たない私でさえ、生活の苦しみを少しも感じた事のない私でさえ、どうしても受け入れる事の出来ない裏書のある親切に会う事はかなり度々《たびたび》である。
 子供達から云えば、私は真の路傍の人である、あかの他人である。いきなり入ってやさしい言葉をかけたのを妙に思うのは無理ではない。けれ共、真の親切を、装うた親切と見分ける眼をふさいで仕舞った、子供心に染み染みと喰い込んだ生活の苦しみと、町の地主等を憎く思うのである。私は斯うやって長い事考え込んで居た。
 家の小作人の菊太《きくた》と云う男が私のわきに来て、
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「良いお日和でござりやす。
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と低い声で呼びかけるまで、甚助の児がなげた石が足にあたって、そこが、うずきでもする様に、苦しい、さわると飛び上るほど、痛い様な気持で居た。

   (三)[#「(三)」は縦中横]

 菊太《きくた》は願い事が有って来たのであった。
 新米の収獲が始ると、菊太は来るものにきまって居ると祖母達は云って居る。毎年毎年欠かさず、袷時分になると一二里あるはなれた村からここの家まで来るのであった。
 いかにも貧乏しそうな、不活溌な、生気のない、青黒い顔をして居て、地蔵眉の下にトロンとした細い眼は性質の愚鈍なのをよく表わして居る。
 こんな農民だとか、土方《どかた》などと云う労働者によく見る様な、あの細い髪《け》がチリチリと巻かって、頭の地を包み、何となく粗野な、惨酷な様な感じを与える頭の形恰をこの男は持って居るけれ共、不思議な事には心はまるで反対である。
 紺無地の腰きりの筒《つつ》っぽを着てフランネルの股引《ももひき》をはいて草鞋ばきで、縁側に腰をかけて居る。紺無地の筒っぽと云えば好い様だけれ共、汗と塵で白っぽくなり、襟は有るかないか分らないほどくしゃくしゃに折れ込んで、太い頸にからみついて居る。袖口は切れて切れて切れぬいて、大変長さがつまって仕舞って毛むくじゃらの腕がニュッと出、浅く切った馬乗は余程無理をすると見えて、ひどいほころびになってバカバカして居る。股引だって膝の処は穴があいて居るし、何と云う無精な女房なんだろうとさえ思われる。
 祖母は此の男に会う事をすいては居ない。
 けれ共この家一さい一人手で切り盛りして居るのでいやでも応でも、会わせられるのであった。厭《きら》われるのは願い事がきまって居るからもあるし、それにあんまり愚痴っぽいからでもあった。
 願い事――ほんとにそれは幾年も幾年も前から同じ願い事ばかりこの男は持って居た。小作男の願事と云えば云わずと知れた、米をまけて呉れである。
 此男は、いつもいつもその願い事をもって袷時分にはきっと来、来るたんびに皆に嫌われながらも自分の望をかなえて行く、馬鹿の様で馬鹿でない男であった。
 此の男のあずかって居た田は、そんなに悪い地ではないらしい。
 他の小作男に見つもらせても、小作米だけは不作でも十分あがる面積と質を持って居た。
 けれ共どうしたものか、毎年上るべきものが上らない。納めるものを納めないで自由な暮しをして居るかと思えばそうでもなく、甚助の家よりもっと酷《ひど》いと云う話を聞いて居る。
 行って見た事もないから、どうしてそんな事になるのか分りもしないけれ共、毎日毎日働いて居るのに取れる筈の米の取れないのは私達では不思議に思える。
 地主と小作人などはお互に都合の良い様に仕合ってうまく行きそうに思えるけれ共、実際は、なかなかそうは行かず、丁度、資本主と職工の様に絶えず不平と反抗的な気持が混《ま》じって居る。
 私は菊太の顔をみるとすぐ自分等が、菊太の子供達がいやがって居る地主だと云う感じが電《いなずま》の様に速く胸を横ぎって、たまらなく不愉快な、いやあな気持になった。
 何も、地主だから罪人だとか何とか云うのではないけれど、其の日は甚助の家の子供を見て来たので訳もなくいやな気持がしたのである。
 菊太の家の子供達も、あんなにして暮して居るのだろう。
 私達が行ったらどんな顔をするだろう。
 斯うした、貧しい、この頃の様に不作つづきの年では余計地主と小作人の感情の行き違いが多いのである。
 私はだまって菊太の話を聞こうとした。
 菊太は何でもない様なポカンとした顔をしてボソボソと低い声ではなす。
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「御隠居様、
 今年も亦思う通り実りがありませんない。
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 斯うして話は始まりいつはてしがつくかと思うほど長く長くつづくのである。
 菊太の出来るだけの弁舌を振って、彼方此方《あっちこっち》、実入《みいり》の悪かった田の例をあげる。
 処は何処で、何と云う名の小作人の田では去年の三ケ一ほか上らなかったとか、誰それの稲は無駄花ばっかりでねたのは少しほかなかったとか、そう云う事をあきるほど云いつくしてから、
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「けど、己《おら》の田はいい方なんだっし、
 御年貢だけはありやすかんない。
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と云うのである。
 それを云うまでにも口がよくもとらないのでどもったり、「ウウーウ」と云ったりする間と、茶を飲み、煙草を吸う時間が加わるので、それだけでもう、大抵の人間は聞き疲れて仕舞う。
 大きな声で話すのならそうでもないだろうけれ共、低い低い声でうめく様に云うのだから、聴くものの気がめ入る様に陰気になって来る。
 それが此の男のねらい処である。自分が、口がうまく廻らない話下手だと知ってからは、いつでも聞手の泣きそうになるまで、クドクドと何か云ってききあきて五月蠅《うるさく》なって来るのを見すまして本意を吐くのが常であった。
 祖母はもうききあきて来る。
 始めの中《うち》は煙草の火などを出してやった下女も、もう前の庭で草の手入を始め、祖母も聞いて居ない様な顔をして「くるみ」を破《わ》っては小さいかごにためて居る。只、今の処は私ばかりが菊太の忠実な聞手である。菊太をつくづく見たいばっかり、知りたいばっかりに私は一言《ひとこと》も口は利かないながら、わきに座って居る。
 話そうと思った事をあらまし話して仕舞うと、次に話す事を考えでもする様に、体に合わせて何だか小さい様に見える頭を下げて、前歯で「きせる」を不味《まず》そうにカシカシかみながら、黙り込んで居る。
 百姓などで、東京のものの様に次から次へと考えずに話をするものが有ったら、それは大抵善い方に利口ではないものである。
 他人の事を悪し様に云い、一寸したものをちょろまかさない位の農民は、大抵この男の様な様子をして話すものである。
 菊太は沈黙の間に話の順序を組たてるのである。出来るだけ哀れっぽく、哀願的に聞える様に苦心するのである。
 考えて居る間も、他の百姓の様に、故意《わざ》とらしい吐息《といき》をついたり、悲しい顔付をして見せるでもなく、只、ボンヤリ気抜けの仕た様に考え込んで仕舞うのである。自分の満足した考えを得るまで必[#「必」に「(ママ)」の注記]して口を切らない。そんな時には、益々頬のたるみが目につき、小さい眼は倍もショボショボになって居るのである。
 しばらくだまって居たっけがやがて頭をあげて、小さい庖丁をつかって居る祖母の手許を見ながら云い出した。
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「御隠居様、
 御年貢の分だけは、はあどうにか斯うにか取りましただハイ。
 それは確なことでやす。
 けんど貧亡[#「亡」に「(ママ)」の注記]者は、いつでも貧亡[#「亡」に「(ママ)」の注記]でなし、
 御年貢は取れてもはあ、去年の鬼奴《おにめ》がまだついてやすでな。
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 祖母はだまって居る。
 鶏も鳴かない静かな中にパチンパチンと乾いた「くるみ」のからの破れる音が澄んで響いて居る。
 菊太は私を見た眼をすぐ祖母にうつして又云い続ける。
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「去年は草取頃に、婆様にはあ逝《い》かれて、米と桶の銭を島の伯父家《おじげ》に借りさあ行って事《こと》うすましやした。悪い時にゃあ悪い事べえ続くもんで、その秋にゃ娘っ子が死にやしたかんない。
 今年は今年で、お鳥(女房の名)が指さあ、張《は》れもの出来《でか》して、岩佐様さあ七十日がな通いましただ。
 鎌で切った処さあ悪いものが入ったそうで、切って二針三針縫って膏薬くれたばかりで御隠居様、有りもしねえ銭十両がな取られやした。
 少し金があればはれもの出来したり、不幸が続いたりしやして、島《しま》の伯父家《おじげ》にも、お鳥が実家《さと》さも、不義理がかさみやす。確かに御年貢だけは取れやした。
 けんど、岩佐様さあやる銭《ぜに》が無《ね》えで去年の麦と蕎麦粉を売りやしたで、もう口あけた米一俵しか有りましねえで……
 御隠居様、ほんに相すまねえでやすが一俵だけまけてやって下さりませ。
 来年は、どうでもして返《な》しやすかんない、御隠居様。
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 此事以外菊太の云う事はないのである。
 幾度繰り返しても只この中の一つ二つの言葉をかえる許《ばか》りだけれ共、どんな事が有《あ》っても、「七十日」と「十円」を抜かす様な事は決して決して金輪際《こんりんざい》無いのである。何の抑揚もなく、丁度|生暖《なまぬる》い葛湯を飲む様に只妙にネバネバする声と言葉で、三度も四度も繰かえされてはどんな辛棒の良いものでもその人が無神経でない限り腹を立てるに違いない。
 斯うなると、菊太と祖母は只|根《こん》くらべである。つまる処は根の強い菊太がいつもいつも甘《うま》い事になって仕舞うのが常である。
 祖母は、自分の聞きともない願事に、なるたけ気を腐らせまいと絶えず手か体
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