だして鶏の群に飛びついた。
食物に我を忘れて居た鶏共は、不意に敵の来襲をうけてどうする余地もなく、けたたましい叫びと共にバタバタと高い暗い鳥屋に逃げ上ろうとひしめき合う。あまりの羽音に「きも」を奪われたのか、犬はその後には目もくれずにじめじめした土間を嗅ぎ廻る。
この急に持ち上った騒動に坐って居るものは立ち上り、ねころんで居た者は体を起した。一番年上の男の子は、いきなり炉から燃えさしの木の大きな根っこを持ちあげるがいなや声も立てず、図々《ずうずう》しい犬になげつけた。
犬にはあたらなかったらしい。
けれ共、驚きのために低い叫びをあげて私の居た裏口の方へかけて来、少しの間うじうじした後、すぐ間近に居た私の足に、土を飛ばせながら畑地を彼方《むこう》にこいで行って仕舞った。
なげ出された木の根っこは、ふてた娘の様にフウフウとはげしい煙に、あたりをぼやかして居た。
その木の始末を仕様ともしず子供達は又鍋のものに吸《すい》よせられて元の姿にじいっとして居るのであった。
斯うやって子供達の待遠しい時間は、ゆるゆると立って漸く鍋の中から、白い湯気が立ちのぼり、グツグツと云ううれしい音がし始めて、しばらく立つと一番の兄は、ヒョイと土間へ素足のまんま下りて「流し」に行った。そこには、朝のままの木の「椀」がつみかさねてあり、はげたぬり箸は、ごちゃごちゃに入って来[#「来」に「(ママ)」の注記]た。
その椀を人数だけと箸を一本ずつ取って「わら」で一拭したまんま畳の上へ上って仕舞った。
私はわきで草を刈って居る婆さんに声を掛けた。
[#ここから1字下げ]
「ねえ、お婆さん、
どこの子供でも、あんなにはだしで上ったり、下りたりして居るの? 誰も叱り手がないんだろうか。
「なあにねえ、お前様、桑の価は下り一方だかんない。駒屋の親父《とっ》さまあ家《げ》の畑《はた》土は、一度も手がつかねえほどなんだし
[#ここで字下げ終わり]
婆さんは、桑の相場をきいたと思って居るのだ。
私は笑うともなく唇をきゅっとまげて又子供等の方に又目をやって居た。
丁度その時、大きい兄は弟や妹達に、鍋の中からホコホコに湯気の立つ薯を一つずつわけ始めて居る。
兄弟中で一番年嵩で、又、一番悪智恵にも長けて居る兄は、皆の顔を一順見渡してから、弟達に一つやる間に非常な速さで、自分の中に一つだけ余計に投げ込む。けれ共、その細い、やせた体の神経の有りとあらゆるものを、鍋の中に行き来する箸の先に集めて居る小さい者達は、どうして兄の腹立たしい「たくらみ」を見逃すことが有ろう。
子供達の心は、忽《たちま》ちの内《うち》に兄に対する憎しみの心で満ち満ちたものと見え、一番気の強そうな、額の大きな子が、とがった声で、
[#ここから1字下げ]
「兄《あん》にい、己《おれ》にもよ。
[#ここで字下げ終わり]
と云った。
一番の兄は、自分の失敗に険しい目をして弟共をにらみながら次から次と出す椀の中になげたけれ共額の大きな子はまだきかない。
[#ここから1字下げ]
「お前《めえ》の方が、ふとってらあ。
[#ここで字下げ終わり]
と云って兄の膝の前の椀からその太った円《まある》い一片を箸の先に刺そうとした。
いきなり、子供の頬に、かたい平手が飛んで、見て居る者の耳がキーンと云うほどいやな音をたてた。
斯うして小さい人間共の争いは起って仕舞った。年上のものは力にまかせて小さいものを打ったり、突き飛ばしたり、小突いたりして、一言も声はたてず、いかにも自信の有るらしい様子をして小さいものに向って居る。
兄弟の中半分が叫びつかれ、泣きつかれた時、いつとはなしに「喧嘩」はやんで仕舞った。一人が先ず始めて皆《みんな》がそれにつれられて働き出した「喧嘩」は一人がいやになると皆もいつとはなしにする気がなくなって仕舞うものである。
各々《めいめい》が思い思いの処に立って、夢からさめたばかりの様に気抜けのした、手持ちぶさたな顔をして、今まで自分等のさわいで居た処を見て始めて、折角《せっかく》盛り分けた薯の椀の或るものはひっくりかえり、いつの間にか上った鶏が熱つそうに、あっちころがし、こっちへころがし仕《し》てこぼれた薯を突ついて居る。斯う云う、何とはなし重苦るしい手持ぶ沙汰《さた》、間の悪い沈黙を破ったのは、一番きかなかった額の大きな子であった。
[#ここから1字下げ]
「己《おれ》食《く》うべえ。
[#ここで字下げ終わり]
一人何か仕だすと子供等は皆木の椀を取りあげて勝手にてんでんばらばらの方を向いて、或る者はしゃくりあげながら、或るものは爪でひっかかれた蚓《みみず》ばれをながめながら、味もそっけもない様に、ボソボソと食べ始めた。
私のわきで婆さんも見て居たものと見えて、
[#ここから1字下げ]
「あないにして食うても、美味《うま》かんべえかなあ。何も彼も餓鬼等の中《うち》がいっちええわ、なあ、お前様。
お前様みたいな方は、若いうちも年取りなっても同じなんべえけど、己等みたいなものは、婆《ばば》になったらはあ、もうこれだ、これだ。
[#ここで字下げ終わり]
と変な笑い方をして手を左右に振った。
けれ共、この婆には、実の子が二人もあって皆男で今は村で百姓をして居るのだから、こんな草刈をたのまれたり、人の水仕事を手伝ったりしないで、かかり息子の家で孫の守りでも仕て居たらすみそうに思えた。
[#ここから1字下げ]
「お婆さん。何故、息子《むすこ》の処へ居ないんだい。
[#ここで字下げ終わり]
私は、かなり曲った腰と、鎌を石でこすって居る、今にもポキーンと骨のはなれそうにかさかさの手をながめながら云った。
[#ここから1字下げ]
「はい、お前様、うちの息子は皆正直ものでなし、けれど、此村の風《ふう》で、自分の持ち畑とか田がなけりゃあ、働ける間《うち》、働くのがあたり前になっとるでない。
[#ここで字下げ終わり]
此の婆が、生れは越後のかなり良い処で片附《かたづい》てからの不幸つづきで、こんな淋しい村に、頼りない生活をして居るのだと云う事をきいて居るので、その荒びた声にも日にやけた頸筋のあたりにも、どことなし、昔の面影が残って居る様で、若し幸運ばかり続いて昔の旧家《きゅうか》がそのまま越後でしっかりして居たら、今頃私なんかに「お婆さんお婆さん」と呼ばれたり、僅かばかりの恵に、私を良い娘だなんかとは云わなかっただろうなんかと思えた。
松の木の根元にころがして置いた「負籠《おいかご》」に刈りためた草を押し込むと、鎌をそのわきに差し込んで、
[#ここから1字下げ]
「甚助がさあ行って見ますべい。
[#ここで字下げ終わり]
と云うので、私も物珍らしい顔をして後から附《つい》て歩いた。その時まで、私は甚助って云う百姓の家はどれだか知らなかった。けれ共、それはすぐそこに裏口のある、私が先刻《さっき》っから見つづけて居た子供ばかりの家であった。遠慮もなく入って行く婆の後から、自分も中に入って、今まであすこで見て居たより、もっとひどい様子にびっくりした。
さっきは満足な畳だと思って見たのは「薄縁《うすべり》」とも「畳」ともつかないもので「わら」の床《とこ》のある処もあり、ない処もある非常にでこぼこした見るから哀れなもので、畳ばかりではなく床《ゆか》までベコベコになって居た。
婆は一番年上の男の子に、
[#ここから1字下げ]
「父《ちゃん》は?
母《かか》は?
[#ここで字下げ終わり]
と云ってききながら上り框に腰をかけて炉のほだで煙草を吸ったりした。
一人の子の前がはだけて膝っ子僧が出て居るのを祖母がしてやる様に、しずかに可愛がって居るらしくなおしてやりながら、
[#ここから1字下げ]
「お前《めえ》さま、今まで、こんなむさい家は見なすった事がなかっぺい。
[#ここで字下げ終わり]
と云って大きな声で笑った。
私の見なれない着物の着振り、歩きつきに子供等は余程変な気持になったと見えて、誰一人口を利《き》くものがなくて、只じろじろと私ばかりを見て居る。
それをわきで見ながら婆さんは、
[#ここから1字下げ]
「ひよろしがって居ますんだ(恥かしがって居るのだ)。
[#ここで字下げ終わり]
と云う。
私は、田舎の子の眼に見つめられる事にはなれっ子になって居たので格別間が悪《わるい》とも思わなかった。
[#ここから1字下げ]
「父さんや、母さんは?
淋しいだろう?
[#ここで字下げ終わり]
とやさしい軽い笑をただよわせながら、一番大きい男の子に云った。
土間に下りて、私を後の方から見て居た子はいきなり大きな声で、
[#ここから1字下げ]
「ワーッ
[#ここで字下げ終わり]
と笑った。
私は少しいやな気持になった。けれ共、再び、
[#ここから1字下げ]
「ねえ、淋しいだろう。
[#ここで字下げ終わり]
と云った時、
[#ここから1字下げ]
「お前の世話にはなんねえからなっし。
[#ここで字下げ終わり]
と怒叱《どな》られた時ほどいやな気持にはならなかった。先ず、あんまりの返事に私は男の子の顔を見た。上り框の婆さんの傍に立って私を見下して恐ろしい顔をして怒叱《どな》ったのであった。
私より婆さんの方がなお驚いたらしかった。その児の方を振向くと一緒に手を引っ張りながら、
[#ここから1字下げ]
「何云うだ。そないな事云うものでねえぞ。
[#ここで字下げ終わり]
と云った。
私の心の中には、一種の「あわれみ」と恥かしい様な気持が湧き上ったのであった。
私は、ほんとうに只、親切の心から云った言葉をこんな荒々しい言葉で返され様とは夢にも思って居なかった。見なれない年若な女が自分達の家へいきなり入ってきて、
[#ここから1字下げ]
淋しいだろうの
[#ここで字下げ終わり]
何のと云うので年上の子は何か誤解したのであったろう。他人の親切を、親切として受入れる事の出来ない子達だと思うといかにも「みじめ」な気持にもなるけれ共、私の掛けた親切な言葉は、今まで、今の様な言葉で受けられた事がないので、いかにも気の小さい、気はずかしい様な気持にもなった。
私は微笑する事も出来ない様に婆さんの顔を見た。
[#ここから1字下げ]
「礼儀も何も、知《し》んねえからなっし
[#ここで字下げ終わり]
と取りなし顔に云いながら、立ちあがった。家の中の事に気を配りながら出るあとについて私も一緒に往還の方へ出ると、そこから杉並木の様な処を透《とお》して真直《まっすぐ》に見えて居る祖母の家へ足を向けながら、婆さんに、
[#ここから1字下げ]
「晩にでも遊びにお出。
[#ここで字下げ終わり]
と云いすてて只った一人足元を見ながら、沈んだ、重い気持で、静かに歩いて居ると小石がひどい勢で飛んで来て、私のすぐ足元で白いほこりをあげ、わきの叢《くさむら》にころげ込んで仕舞った。
私は本能的にすばやく身をよけてすぐ後を振向くとまだ二三間ほかはなれて居ない甚助の家の入口の家中の子供が皆重なりあって此方をのぞき、私に怒叱《どな》った一番大きな子は、次の石を拾おうとして腰をかがめて往還に立って居た。
私は、鋭い勢で飛んで来た小石が、袷の着物を通して体にあたる痛さや、素足から血のにじんで居る様子を男の子の態度を見た瞬間に想うともなく想った。
男の子が投げる事をやめる様にわきにある杭の木を小楯に取って、じいっとその方を見つめて居た。
体は静かに、眼は静かに、子供の上にそそがれてあるけれ共、今までに経験したことのない不安な気持は、私の頭中かけ廻って、あの小石が男の子の手をはなれるやいなや身をよける用意さえして居た。私はいつまでもじいっと彼方を見て居た。
彼方も又、私におとらないほど、此方を見つめて居る。けれ共、とうとう二度目の石はそのまま男の子の足元にすてられ、皆家へ入って仕舞った。
それを見すますと急に私は、頭の頂上で動悸《どうき》がして居る様な気がした。
それからすぐの家の門へ入るまで私は、まるで駈けると同じ様な速
前へ
次へ
全11ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング