る。
斯う云う農民の住居は多く北から南へかけ東から西へと通って居るやせ馬の背の様な形の石ころ道をはさんで両側に並んで居る。
里道の中央が高いので雨降りの水は皆両側の住居の方へ流れ下るので、家の前の、広場めいた場所の窪《くぼ》い所だの日光のあまり差さない様な処は、いつでも、カラカラになる事はなく、飼猫の足はいつでもこんな処で泥まびれになるのである。
小作人でも少し世襲的の財産めいたものが有るものなんかは、馬なども、たまには持って居るけれ共、その馬小屋と云うのは、四方は荒壁で馬の出入りに少しばかりをあけて菰《こも》を下げ、立つ事と眠る事の出来るだけのひろさほか与えられて居ないものである。
空気の流通と、日光の直射を受ける事がないから、土面にじかに敷いた「寝わら」だのきたないものから、「あぶ」や「蠅」は目覚ましい勢でひろがって、飛び出そうにも出処のない昆虫はつかれて小屋に戻って来る馬を見るとすぐその身を黒く包み去るのである。
昼は悪い道に行きなやみ、夜は、虫共に攻められる馬は、なみよりも早く老いさらぼいて仕舞うのである。もし斯う云う生活さえさせられなかったなら、この種の良い、三春馬や相馬馬はそんなに早く、みぐるしい様子にはならないだろうのに、馬までが主の小作人同様、幸でない運命を持って居る様に思われるのである。動物をつかって耕作をする事のない此村には馬の数は非常に少ない。
往還で行き会う荷馬も、大方は、用事をすませれば、町方へ帰るものか、又は、村から村へと行きずりの馬である。
往還から垣もなく、見堺もなく並んで居る低い屋根は勿論「草ぶき」で性悪の烏がらちもなくついばんだり、長い月日の間にいつとはなし崩れたりした妙な処から茅がスベリ出して居て陰気に重い梁《はり》の上に乗って居る。外囲いは都会の様に気は用いない、茶黄色い荒壁のままで落ちた処へ乾草のまるめたのを「つめ込んで」なんかある。
こんな家に二階建のはまれで皆平屋である。家の前には広場の様な処が有って、野生の草花が咲いたり、家禽《かきん》などが群れて居る。
この村人の育うものは、鳥では一番に鶏、次が七面鳥、家鴨などはまれに見るもので、一軒の家に二三匹ずつ居る大小の猫は、此等の家禽を追いまわし、自分自身は犬と云う大敵を持って居るのである。
人通りのない往還の中央に五六人きたない子がかたまって、尾をあげ爪を磨いでうなる猫と、腹立たしそうにクワンクワンと叫ぶ犬を取り巻いて居る事がよくある。向いの家の猫が自家の鶏を取った事から、気づ[#「気づ」に「(ママ)」の注記]くなった家なんかも有った。
家畜と云うほどの事もない、犬や猫に入り混って叫んだり、罵ったりして暮す子供等は、夏は、女の子は短っかい布を腰に巻いたっきり、男の子は丸のはだかで暮すのである。けれ共十四五から上のにもなれば、まさか、手拭で作った胴ぎりの袖なしだの、黒い単衣を着てなんか居る。
冬は、母親のを縫いちぢめた、じみいなじみいな着物を着て、はげしい寒さに、鼻を毒《そこな》われない子供はなく皆だらしない二本棒をさげて居る。
髪は大抵、銀杏返しか桃割れだけれ共、たまに見る束髪は、東京の女の、想像以外のものである。
暗い、きたない、ごみごみした家に沢山の大小の肉塊《にくかい》がころがって居るのである。
実際、肉塊が生きて居て地主のために労働して居ると云うばかりで、智的には、何の存在もみとめられて居ないのである。
けれ共此村には、彼等農民の上に立って居ると云っても良い半農民的な生活をして居る或る一っかたまりの人達が居る。
それは、村役場と小学校と、めずらしくも、この村にある中学校に関係ある人達の群で有る。その他、神官と、僧侶と、この村の開墾当時から移り住んで居た、牛乳屋の家族、などは、実際の村のすべての事を処理して行く上には実力が有った。
こんな人達の勢力は、実に「井の中の蛙」と云うのに適当なものである。
中学校がこんな村にある! 一寸妙な気のする事だけれ共、それは県庁が、比較的景色の好い精神的と肉体的とを兼ねたこの健康地を選《え》らんだと云うばかりだけれ共、その生徒の中から此村に落される金ばかりは割合に労働なくて得られる金の唯一なものであった。遠い村に家のある生徒は、半農民の小ざっぱりした家へ下宿し、そのために二軒の下宿屋さえ有るのである。夏季講習が折々この村の中学で行われる時は、村中が急に、さざめき渡るのである。
それだから、彼等にとって生徒はまことに有難いものに写《うつ》るので「生徒さん」と云う名をつけて必[#「必」に「(ママ)」の注記]して呼びずてにする事はしなかった。
源平団子と云う菓子屋はいつもこの「生徒さん」達ににぎわされ、その少しさきにある、料理屋兼旅人宿は、花見時、競馬時でなければたちよる人の影もまれである。
斯んな村にも、厳な大神宮がある。檜と杉の森を背に、三番池を見下して居る。村に置くには勿体もないほどであるけれ共、主だった事々が行われるにはいつも、県庁の役人が出向くのが常である。
とうに別格官幣大社になるはずではあるけれ共、資産のとぼしいばかりに今も尚、幾十年かたここに建てられたと同じ位に居なければならないのであった。
それほど差し迫った生活の味を知らない私共は、真の貧と云う事は知らない。
精神的に慰安を受ける或る物を常に頭に置いて考えるので、金もなく、生活に苦しんでも、不義の富をむさぼるよりは意味深いと云う事を云う。けれ共、農民が、何の慰安もなく、確信も主義もなく、只貧しく、只金がなく、冬の長い北の国に日々の生活に追われて居て考える貧と云うものに対する感じは何もないのである。只、恐ろしい、只逃れたいばかりのものである。
私共の思う貧にはいつも精神的の富みがつきまとうて居る。
けれ共、物質的に精神的に貧しく金のない此等の農民の生活は実に哀れな、より所のない、一吹きの大風にもその基をくつがえされそうなものである。
(二)[#「(二)」は縦中横]
村の南北に通じた里道に沿うて、子供沢山で居て貧しい小作男の夫婦が居るあばら屋がある。
町に地主を持って居て、その畑に働いて居るのだけれ共、段々に人数はますし、ゆとりのあるほど沢山とれる年がないので、夫婦は日の出るから暗くなるまで、畑地の泥《どろ》にまみれて食うためにばかり働いて居るのである。
盆、正月にも、新らしい着物は作れないと云う事だ。働いても働いてもゆたかな暮しが出来ないので、幾分かすてばち気味に、少し金が入るとすぐ何かかにかにつかって仕舞うので、よけい切りつめた暮しをしなければならないらしい。
私はその小作人の家のすぐの処で草を刈《か》って居る婆さんとその裏にぴったりよった処にある木の根っ子に腰を下して、膝の上に頬杖を突いて秋の初めの太陽の光に鋭く反射する鎌の先をながめながら下らない話をして居る。婆さんは此処の貧亡[#「亡」に「(ママ)」の注記]な事をしみじみ同情する様な口調で話してきかせた。
話をきいて私はつと家の中を見たい気になり、木の根っこから乗り出して裏口から半身を家の中へ入れる様にして中の様子を見ようとした。
三尺位の入口は往来に面し裏口は今私の居る、今は何も作ってない畑地に向って居る。
この二つの入口だけであと天窓ほかない此家の内部は屋外からのぞいた明るい眼では、なかなか見られないほど暗く陰気である。
野菜の「すえ」た臭《にお》いと、屋根の梁の鶏の巣から来る臭いが入りまじって気味悪く鼻をつく。
暗さになれてよく見ると、五坪ばかりの土間の一隅には朽ちた「流し」と形ばかりの「かまど」がある。
そのわきにじかに置いた水桶のまわりは絶えて乾くと云う事はないらしくしめって不健康な土の香りとかびくささがいかにもじじむさい。
馬鈴薯と小麦、米などの少しばかりの俵は反対のすみにつみかさねられて赤くなった鍬だの鎌が、ぼろぼろになった笠と一緒にその上にのっかって居る。
鶏にやる瀬戸物を砕いた石ころが「ホウサンマツ」を散[#「散」に「(ママ)」の注記]きらした様にキラキラした中にゴロンとだらしなくころがって居る。
梁《はり》にある鶏の巣へ丸木の枝を「なわ」でまとめた楷子《はしご》が壁際に吊ってあってその細かく出た枝々には抜羽《ぬけは》だの糞だのが白く、黄いろくかたまりついて、どっか暗い上の方でククククと牝鶏の鳴いて居るのさえ聞える。三尺ほど高く床が張ってあって、縁《へり》なしの踏む後《あと》からへこんで、合わせ目から虫の這い出そうなボコボコの畳が黒く八畳ほど敷いてある。燃木《たきぎ》の火花が散ってか、大小の焼っこげがお化けの眼玉の様にポカポカとあいて居る。
上《あが》り框《がまち》に近い方に大きく切った炉には「ほだ」がチロチロと燃えて、えがらっぽい灰色の煙が高い処をおよいで居る。畳の隅の「みかん箱」の様なものの上に、水銀のはげた鏡と、栂のとき櫛の、歯の所々《ところどころ》かけたのがめっかちのお婆さんの様にみっともなく、きたなくころがって居る。
壁に張った絵紙を大方はその色さえ見分けのつかないほどにくすぶって仕舞って居て、片方ほか閉めてない戸棚から夜着の、汚いのがはみ出て居るわきの壁には見覚えのある高貴の御方の絵像が、黄ろく、ぼろぼろに張りついて居るのである。
家中見廻して何一つこれぞと云うほどのものもない、洞の様な、このがらんどうで、到る処に貧《ひん》のかげの差しただようて居るこの家の様子は私が始めて見る――斯う云う家、斯う云う生活もあるものかと思ったこの家の中に、色のやけてやせこけた、声ばかり驚くほど太い五人の子供が炉に掛った鍋の食物の煮えるのを、この上ない熱心さで見守って居る様子は、何となしに空恐ろしい様な気持を起させる。
私はこんな貧しい家を目前に見た事はまだ一度もなかった。鮫ケ橋の貧民窟は聞いて名ばかりを知って居る。
こんな子供ばかりで居る暮しを見た事もない。私はこの家の暮しは、話できいて居るよりもひどいと思った。
こんなにも道具がなくて暮す事が出来るのだろうか、子供ばかり置かれてどうするだろうか。
子供のためにも悪いだろうし、よく悪い者が入って来ない事だ。
お金なんかはどうして置くんだろう。
非常な物めずらしさで、よく見て居たいと思うともう私は婆さんの話には最早耳をかたむけなくなって仕舞った。
けれ共婆さんは、私が聞こうが聞くまいがかまわないと云う風に、只一人で勝手に喋《しゃべ》って居る。
養蚕の事を云って居た。
実際子供等は、鍋のものの煮えるのを待ちあぐんで居るらしかった。
こんなにも食べたく、こんなにも待ち遠がるほど三度三度の食事は、子供達の腹をみたすだけ十分でないのだろう。
育つ勢の盛なる子供達はたとえその度毎にあきあきするほど食べても、又その次の時には、前に一口も何も食べなかった様に待ち遠がったり、食べたがったりするものだけれ共、その度毎十分にたべて又次に待ち遠がる子供の眼は必[#「必」に「(ママ)」の注記]して、今これ等の子供達が持って居る様な眼は持つものではないのである。
何と云う熱心な、又何と云う緊張した眼の色だろう。子供等の頭の中は、鍋のもので満ち満ちて居るに違いない。非常に、たくましい、想像力をもってそのやがて自分等の口に入って来るものを想って居るに違いない。子供達はあんまり熱心になって居るので、其の一粒さえ半粒さえ勿体ながらなければならない麦を俵の外から嘴を入れてあさって居る鶏の事に気がつくものは一人もないのである。一羽の衰えた雄鳥と四羽の雌鳥は子供達の眼をかすめて、早い動作をもって、豊かでない腹をみたして居る。人間も鶏も食物に対する饑えたものの特別に緊張した気持で一方は一瞬の間でも早く自分等の口に煮物が入る事を望み、一方は、無意識の間に一粒でも多く食べ様とする様子で居る。
といきなり街道からかけ込んで来た、これも又あまり豊かな生活は仕得られないらしい野良犬は、はげしい勢をもって、その狼に近づいた様な牙をむき
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