みを少しも感じた事のない私でさえ、どうしても受け入れる事の出来ない裏書のある親切に会う事はかなり度々《たびたび》である。
子供達から云えば、私は真の路傍の人である、あかの他人である。いきなり入ってやさしい言葉をかけたのを妙に思うのは無理ではない。けれ共、真の親切を、装うた親切と見分ける眼をふさいで仕舞った、子供心に染み染みと喰い込んだ生活の苦しみと、町の地主等を憎く思うのである。私は斯うやって長い事考え込んで居た。
家の小作人の菊太《きくた》と云う男が私のわきに来て、
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「良いお日和でござりやす。
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と低い声で呼びかけるまで、甚助の児がなげた石が足にあたって、そこが、うずきでもする様に、苦しい、さわると飛び上るほど、痛い様な気持で居た。
(三)[#「(三)」は縦中横]
菊太《きくた》は願い事が有って来たのであった。
新米の収獲が始ると、菊太は来るものにきまって居ると祖母達は云って居る。毎年毎年欠かさず、袷時分になると一二里あるはなれた村からここの家まで来るのであった。
いかにも貧乏しそうな、不活溌な、生気のない、青黒い顔
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