「ちょっと帳簿つけてしまわにゃならんから、待ッつかわせ」
 店では、さっきの処に坂口の爺さんが、火をつけない煙管を指の間にもったままかがまって、一枚の刷物を読んでいた。この春、西本願寺の若い法主が徳大寺公の姫と結婚する。費用は七十万円であった。西本願寺はそれについて、こういう地方の末寺の檀家にまで一口七十銭ずつの割当をきめて寄附を求め、その代りとして、裏方になる若い姫の和歌と法主の書いた字を赤と緑との色紙重ねの模様のうちに刷った扇子を配った。
「――やすうないな、実費はなんぼほどのもんじゃあろ」
 仔細に眺めていた坂口が、その扇をしめて刷物の上に置いたとき、
「はや、ここもまわりよったんか」
 勢のいい幅のある声とともに土間へ入って来たのは、相変らず年代も分らぬ古|天鵞絨《ビロード》の丸帽子をかぶった重蔵であった。
 おさやは、この店の帳場と云うべき机の前から頭をうごかして挨拶をした。重蔵は、背の高い頑丈な腰を軽くかがめると一緒に頭から丸帽子をぬぐ、丁寧なようなそうでないような独特の辞儀をしながら、
「大将の工合はどうで」
 庄平の起きかえっている中の間の方を覗けた。声を大きくして、
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