ものと地上のものとを眺めていると、お縫は潤いのかけた日暮しのなかにいる自分の心に優しくふれて来るもののあるのを感じた。自分だけのそういう一刻を大切に心にふくんで味おうとするように、お縫はゆっくりと丁寧に重い黒い洗濯ものを竿にひろげて行った。

 二年ばかり前、おさやは息子たちにせめては借金のほかにものこしてやるものをと、生命保険に入ることを思い立った。近所にタバコ屋をしながら片手間にそういう世話をしている家がある。入ればそこが分《ぶ》をとるから、早速三停車場ばかり汽車で行って手続きして医者が来た。別に故障のない体であったが、二の腕にまきつけてしめる妙な道具を出した結果、血圧が高すぎておさやの保険は駄目ということになった。
 そういう体に熱い湯はいけないと云われたし、おさやにしても庄平を見送らないうちは大事な自分の体と知りながら、五十年来の習慣はやめられない。湯の音がしたかと思うともうあがって、濡れて光る鬢《びん》を鏡もみず掻きつけながら、おさやは店先の神棚の前へ行った。マッチをすって右と左と御燈明をつけた。そして、その前へ立ったなり神社でするとおりパンパンと力のこもったせわしない手ばた
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