林のこちらから、背戸に枝もたわわに黄色くみのっている夏蜜柑の樹を茂らせて麦畑や田の間に散らばっている。田をつくるに水不足で、どこの農家でも井戸を掘りぬいて灌漑した。
この村から一里ばかり先に大きい湾に面した港町があって、鉄道がしけるまでは東北から出まわる北米《きたまい》は一旦すべてこの港に集められ、そこから九州や山陰へ回漕されている。庄平兄弟の母親は、そういう商売を大きくやっている回漕問屋の娘であった。そんな関係から、代々油屋だった国広屋が、米へ手を出すようになった。
ところが、この地方に汽車が開通すると一緒に、港はさびれ、従ってその港の活気でひき立てられていた村の暮しが年々深い眠りの中へとりのこされてゆくようになった。国広屋が落ちめになったのはこれも一つの理由であったが、庄平に云わせると、没落は又別の理由で早められたことになった。
明治時代には十年おきぐらいに日本として初めての大戦争や事変があって、庄平は、三十を越すまで三度戦に従軍した。兄貴が兵士ぐらしをしている間に、弟の順平は、おのずから家代々の鰭《ひれ》を一人の身につけて、金使いも覚え、汽車が開通したときは、米を運ぶより頻
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