かもしれない。
 が、そうはならない。今の苦しさが強ければ強いほど、あのときの思い出は、はっきりと、あのときのままの新しさをもって浮み出して来る。あのときの通り明るく、暖く歎いて行く自分を迎えてくれるのである。
 それがたまらない。
 彼の心は、ただ土地が惜しい、年寄りの仕打ちが恨めしいというばかりではない、あのときの、あの歓びを憶い起すに耐えないような心持が――それだのにまた、憶い出さずにはいられない一見矛盾した感情が、自分でどう自分を処していいか分らないように湧き上る。
 生活の基礎が、ぐらついている不安、家族の者共に対する愛情、真当な何物かに対する憧憬等が、彼には一つ一つこういう風な区別をつけられていないだけ、それだけ混雑したひとしお悩ましい心持になって、彼等の言葉で云う心配負《しんぺえま》けにとっつかれた状態にあったのである。
 重い白土の俵を背負って、今日も禰宜様宮田は、急な坂道を転がりそうにして下りて来た。
 窮した彼は、近所の山から掘り出す白土――米を搗《つ》くときに混ぜたり、磨き粉に使ったりする白い泥――を、町の入口まで運搬する人足になっていたのである。
 できるだけ賃
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