きれ返ったような調子で云う。
 自分が鬼婆鬼婆といわれているということも、その訳も彼女はちゃんと知っている。
 けれどもちっとも気にならない。それどころか却ってこそこそと鬼婆がどうしたこうしたと噂されるのを聞くと、今までに倍した元気が湧いて来るのである。
 どんな悪口でも何でもつまりは、ねたみ半分に云うのだ。
 自分のことを眼の敵《かたき》にして、手の上げ下しにろくなことを云わない津村にしたところで、腹の中は見え透いている。今までこそ、呉服は津村に限るとまで云われて、町随一の老舗《しにせ》で通って来たものが、このごろではうち[#「うち」に傍点]にすっかり蹴落されて、目に見えて落ちて行く。その当人になってみれば、嘘にもお世辞にもよくは思えないのも無理はない。それがこわくて何ができよう。
 先だって三綱橋のお祝いのときにも、佐渡《さわたり》の御隠居があんなにわいわい云ったって、やはり寄附金が少なかったから、見たことか、ああやって私よりは下座へ据えられて、夜のお振舞いにだって呼ばれはしない。
 町会議員を息子に持っていると威張ったところで、いざというときにはどうせ、私の敵じゃあないわい。
 
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