が、足の方から頭の方へと一目散に馳け上ったような心持がした。
 そして、彼のいい顔の上には、しん底からの微笑と啜泣《すすりなき》が一緒くたになって現われた。
「はあ、真当《まっとう》なこった。
 若けえもんあ死なさんにぇわ……なあ……」
 今までただの一度でも感じたことのない歓喜と愛情が、彼の胸には焔のように燃え上って来た。
 もうどうしていいか分らなくなってしまった彼は、傍の草の中に突伏して、拝みたくて堪らない心持になりながら子供のように泣吃逆《なきじゃく》ったのである。
 そして、安心して気が緩んだので、いつかしら我ともなく心がポーッとなりそうになったとき、
「オイオイ禰宜様、何《あによ》うしてるだよ。
 俺らあおめえん介抱《けえほう》まじゃあ請合わねえぞ」
と云いながら、誰かがひどく彼の肩を揺った。
 スースーとちょっとずつ区切りをつけながら、蜘蛛《くも》が糸を下げるように、だんだんと真暗な底の知らないところへ体が落ちて行くように感じながら、どうしても自分で頭を擡《もた》げることの出来ないでいた禰宜様宮田は、このときハッと思うと同時に、急に自分の体が自由に軽くなったように感じた。
 そろそろと起き上った彼は、仲間と一緒に若者をようよう近所の百姓屋まで運んで行った。
 救われた若者は、町で有名な海老屋という呉服屋の息子で、当主の弟にあたる人であったのである。
 名乗られると、急にどよめき立った者達は、ふだんは使わない取って置きのいい言葉で御機嫌をとろうとするので、大の男までときどき途方もないとんちんかんを並べながら、ワクワクして助けてくれた人は何という者だと訊かれると、
「ありゃおめえさ禰宜様宮田で、へ……
 もうからきしはあ……」
などと、お世辞笑いばかりする。
 今の場合、わざわざ拾って来られたところでどうしようもない魚籠《びく》だの釣竿だのを、一つ一つ若者の前へ並べたてながら、彼らは財布と銀時計――若者も内心ではどうなったろうと思っていた――をこっそり牒《ちょう[#ママ]》し合わせて、見付からないことにしてしまった。
「オイきっと黙ってろな、え?
 ええけ、きっとだぞ!」
 皆に拳固をさしつけられた禰宜様宮田は、部屋の隅の方でコソコソと身仕度をした。
 そして、大切そうに皆に取り巻かれ、気分もよほどよくなったらしい面持ちをしながら、家からの迎えを待っている
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