来上ったような森や林が横たわっている。
 いつも何か大した相談事をしているように、きっちり集まっている町の家々の屋根には、赤い瓦が微かに光り、遠いところから毛虫《けっとうばば》のような汽車が来てはまた出て行く。
 目の下を流れて行く川が、やがて、うねりうねって、向うのずうっと向うに見えるもっと大きい河に流れ込むのから、目路も遙かな往還に、茄子《なすび》の馬よりもっと小っちゃこい駄馬を引いた胡麻粒ぐらいの人が、平べったくヨチヨチ動いているのまで、一目で見わたせる。
 河の水音、木々のざわめき、どこかで打つ太鼓の音などは、皆一つの平和な調和を保って、下界から子守唄のようになごやかに物柔かく子供の心を愛撫して行く。
 六の単純な心は、これ等の景色にすっかり魅せられてしまうのが常であった。
 大人の話す町々や河――自分なんかが行こうとでもしたら、死んでしまいそうなほど遠い遠いところにあると思っている山も、河も、賑やかな町もみんなもうすぐその辺に見える。
 こっちの山からあっちの山まで、一またぎで行かれそうだ。
 ちっちゃけえ河、まあ、あげえにちっちゃけえ河!
「オーーイッ!」
 彼は、洗いざらいの声で叫んでみる。
「オオオオイ……」
 むこうのむこうーの雲の中から、誰かが返事をする。
「オーイッ!」
「オオオオオイ……」
「オオオイ」
「オ……」
 俺ら飛びてえなあ……
 あの高けえ山のあっちゃの国、
 夢にさえ見たことのない世界に生きているたくさんの、たくさんのもの。
 子供の空想は、折々彼の頭を掠めて飛んで行く小鳥の翼にのって、果もなく恍惚として拡がって行くのである。
 やがて、日がだんだん山に近くなって、天地が橙《だいだい》色に霞み山々の緑が薄い鳩羽色で包まれかけると、六は落日に体中照り出されながら、来たとは反対の側から山を下りる。
 そして、菫《すみれ》が咲き、清水が湧き出す小溝には沢蟹の這いまわるあの新道を野道へ抜けてブラブラと、彼の塒《ねぐら》に帰るのであった。
 町ではこの一ヵ月ほど前から、――町架空索道株式会社というものが新しく組織されて、町外れに、停留場とでもいうのか、索道の運転を司りながら、貨物の世話をするところを建てていた。
 三里ほど山中の、至って交通の不便な部落から、切石、鉱石、蒔炭の類を産するので、町への搬出を手軽く出来るように、町からそっちへ売
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