ればいいだけである。
いろいろな口実を設けて、家屋まで奪われた彼女は、ようよう元納屋にしていたところを住居にして、朝は目が覚めたときに起き食事をすますと荷をかついで出たまま、気が向くまで帰って来ないのが、このごろの習慣になっていたのである。
九つになった六は、母親があってもなくてもまるで同じような生活をしていた。
目を覚したときには、お石はもう大抵留守になっているし、遊び疲れた彼が炉傍でうたたねしてしまう頃までに彼女は帰って来ない方が多い。
学校へも行かず叱りても持たない彼は、彼の年の持つあらゆる美点と欠点のごちゃごちゃに入り混った暮しをして、或るときは大変いい子であり或るときは大変悪い子である六は、貧しい部落中でも貧しい者の子、躾《しつ》けのない子と目されているので、彼の友達になってくれるものはない。
たまにあったとしても、学校で教わって来た字を書いては、
「六ちゃん、おめえこの字知ってる?」
などときかれるのは、たまらなく口惜しい。自分の方でも避けているので、まったく独りぼっちの彼は一日中|裸足《はだし》の足の赴くがままに、山や河を歩きまわっていたのである。
どこへ行っても山は美しい。
面白いもので一杯にはなっているけれども、彼の一番お気に入りなのは、元二人の姉達がいた時分春になるとは松ぼっくりを拾いに来たことのある館《たて》の山である。一吹風が渡るとたくさんなたくさんな松の葉が山のしんからそよぎ出すように、あの一種特別な音をたてて鳴りわたるのを聞きながら、蕗《ふき》の薹《とう》のゾックリ出た草地に足を投げ出して、あたりを見はらすのが、六にとって何よりの楽しみなのである。
「きれえだんなあ……
何ちゅう可愛《めん》げえんだべ、俺ら……」
高い山から眺める下界の景色は、ほんとに綺麗である。そしてほんとに可愛らしい。
何もかもが小さくちょびんとまとまって、行儀よく、ぶつかりもせず離れすぎもしないように並んでいる。
昔々ずうっと大昔、まだ人間が毛むくじゃらで、猫のような尻尾を持っていた時分に――部落の年寄達はきっとこういう言葉を使った。――巨人が退屈まぎれに造ったのだというS山を正面に、それから左右に拡がって次第次第に高く立派になっている山並みに囲まれた盆地のところどころには、緑色をたっぷり含ませた刷毛《はけ》をシュッ、シュッ、シュッと二三度で出
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