がした。その男が先に立って、どしどし階子を下りて来た。藍子は、二畳の敷居へはみ出していた座布団を体ごと引っぱって、顔を店の方へ向けた。
「じゃ」
「そうですか、失礼しました」
送り出してしまうと、尾世川は、
「やあ」
と云いながら、照れたような生真面目な顔をして藍子の傍へとってかえした。
「どうも失礼してしまいました。どうぞ」
「いいんですか」
「ええ、どうぞ」
二階に、今の客が敷きのこして行った座布団が火鉢と茶器の傍にそのままある。藍子はそれを下げて、窓際へ行った。
「――。千束の人ですか」
「ええ、そうです」
尾世川は、やっぱり照れたような具合で熱心に云った。
「どうも困っちゃったんです。妙な嫌疑なんかかけやがるから」
「どうしたんです、本当に御存じないんですか」
「本当ですとも。――今の男の妻君の妹分に当る女ってのが、私もちょっと知ってるには知ってるんですが、二日ばかり前にいなくなったんだそうです。鏡台の中とかに私の所書があったからって来たんですが、……私はそんなことちっとも知りゃしないんですよ」
「ひどく不満そうですね」
藍子が、可愛い眼に悪戯《いたずら》らしい色を浮べ
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