風であった。
彼は眼を放たず窓外に飛び行く田舎の景色を眺め、
「いいですなあ! 天気がいいから実に素敵だ」
何度もそう云った。
「あ、見ましたか? 水車がありましたよ、やっぱり今でも田舎では水車が廻っているんですね」
平凡な田舎の景色と、横の空いた座席に投げ出されているアルマの箱と、尾世川自身の声の中に何かつつましき祝祭が燦《かがや》いてい、藍子も軽やかな心持であった。
葦が青々茂っている。その川の上に鉄橋が見える。列車が轟然とその鉄橋をくぐりぬけた。
「汽車は鉄橋わたるなり」
白い汽車の煙と、轟音と、稚い唱歌の節が五月の青空に浮んで、消えて、再びレールが車輪の下で鳴った。
稲毛の停車場から海岸まで彼等は田舎道を歩いた。余り人通りもなかった。二つの影が落ちる。道は白く乾いて右手に麦畑がある。尾世川は麦の葉をとって鳴らそうとした。うまく鳴らなかった。
「葉っぱじゃない茎を吹くんじゃないんですか」
「いや、確に葉っぱが鳴ったと思うんですがね」
浅くひろがった松林があり、樹の間に掛茶屋が見えた。その彼方に海が光った。
藍子は、額にかざして日をよけていた雑誌の丸めたのを振りなが
前へ
次へ
全26ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング