――兎に角両国まででも行って見ようじゃありませんか。日がえりで海見て来るのもわるくないなあ」
 早速立って着物を着換え始めた。藍子は窓枠に腰かけ、彼が兵児帯《へこおび》を前で結び、それをぐるりと後へ廻す、気忙《きぜわ》しそうな様子を眺めた。
「そんなこと云って、大蔵省いいんですか」
「大丈夫です。不時収入があるんですから――……尤も私のはいつだって不時収入ですが……」
 尾世川は、しまってあるステッキをわざわざ戸棚から出し、それを腕にかけて外へ出た。
 駅前の広場で、撒水夫がタッタッタッ車を乱暴に引き廻して水を撒いている。それをよけ、構内へ入ると俄に目先が暗いように感じられた。その午後はそんないい天気であった。
 旅客の姿、赤帽の赤い帽子、粗末な停車場なのが却って藍子の旅心を誘った。
「どうします?」
 尾世川がバスケットを取って戻って来た。
「――このまんま帰っちゃうのも惜しいようだな」
 二人は列車発着表の前へ立った。
「――成田はどうです?」
「そんなとこ役者がお詣りするところですよ。……稲毛なら近いには近いけど……」
「いいじゃないですの!」
 尾世川は直ぐ表を見るのを止めてし
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