きこえはじめる時刻になることもある。子供らは先頭にわたし、しんがりにおとな、という順序で、急な母恋しさに畦道をいそいだ。行手には雑木山があった。子供には、すごく深くおそろしく思ったその雑木山の裾を左へとって、暗いしめっぽい樹の匂いのする急な坂をのぼりきると、松平さんの空地と呼ばれていた広地のからたち垣が見えた。そのからたち垣は、ほんとうに長くて、それについて又左へうねって行くと、大給という華族の黒い大きい門があり、自然に折れて丸善のインク工場の前を通った。そこも右手はまだ松平の空地つづきで、せまい道幅いっぱいによく荷馬車がとまっていた。私たち子供は一列になって息をころして馬のわきをすりぬけ、すりぬけるや否や駈け出し、やがてとまってあとをふりかえってみた。こわいくせに、そのこわくて大きな馬の後脚の間に、ホカホカ湯気の立つ丸い馬糞が落ちていたのは、まざまざと見て覚えるのであった。
 からたちの垣は、表の大通りにある門のところまでつづいて、松平さんの桜といえば、その時分林町のその往来に美しく立派なお花見をさせた。からたちの垣がくずれているところから草の茂った廃園が見え、奥の方に丘があってその
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