圃のあたりも描かれている。
後年渡辺治衛門というあかじや銀行のもち主がそこを買いしめて、情趣もない渡辺町という名をつけ、分譲地にしたあたり一帯は道灌山つづきで、大きい斜面に雑木林があり、トロッコがころがったりしている原っぱは広大な佐竹ケ原であった。原っぱをめぐって、僅かの家並があり、その後はすぐ武蔵野の榛の木が影を映す細い川になっていた。その川をわたる本郷台までの間が一面の田圃と畑で、春にはそこに若草も生え、れんげ草も咲いた。漱石の三四郎が、きょうの読者の感覚でみればかなり気障でたまらない美禰子という美しい人に、当時の文展がえりを散歩に誘われ、この辺の田端田圃のどこかの草原に休んで、美禰子が夕映を眺めながら謎のように|迷える羊《ストレイ・シープ》というひとりごとをくりかえすのをきいた。
同じその四十年代の明治に子供であった私達は、同じその田端田圃の畦道を、三四郎がとこうとして悩んだ悩みもなく、「きいてき一声、新橋を、はやわが汽車ははなれたり」と声はりあげて歌いながら歩いた。余りながく崖の上で汽車を見ていて、この田圃にかかる頃は、もうあたりにいくらか夕靄がこめ、町々に豆腐屋のラッパが
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