の一台には、つつじの小鉢が古い真田紐《さなだひも》で念入りにからげつけてあった。
 青葱《あおねぎ》の葉などが落ちている朝の往来をそっちに向って近づきながら、ひろ子は或る言葉を思い出した。その国の労働者の生活状態はその国の労働人口に比例して何台自転車をもっているかということで分る、多分そんな文句であった。今目の前に市電の連中の自転車は二十台以上も並んではいたが、スポークがキラキラしているような新しいのは唯の一台もなかった。
 ガラス戸が四枚たつ入口のところへ、三々五々黙りがちに従業員がやって来ていた。入口のすぐ手前のところで立ち停ってバットの最後の一ふかしを唇を火傷《やけど》しそうな手つきで吸って、自棄《やけ》にその殼を地べたへたたきつけてから入るのがある。どっかりと上り框《がまち》に外套の裾をひろげて腰をおろし高く片脚ずつ持ち上げて、いそぎもせず靴の紐を解いているのがある。
 ひろ子は足許の靴をよけて爪立つようにしながら、
「あの、山岸さん見えていましょうか」
 上り端の長四畳のテーブルにかたまっている連中に声をかけた。黒い外套の背中を見せてあちら向に肱を突いていたのが、向きかえり、
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