だから。――じゃ失敬。折角寝たところを起してすみませんでした」
 元気よく外へ出かけて、大谷は、
「ホウ」
 敷居をまたぎかけたなり、ひろ子の方へ首を廻らして、
「もうこんなだよ」
 フーと夜気に向って白く息を吐いて見せた。夜霧に溶けた月光は、さっきより一層静かに濃く、寒さをまして重たそうに見えた。そこを劈《つんざ》いて一筋サッとこちらからの電燈の光が走っている。ひろ子は雨戸に手をかけた姿で、身ぶるいした。
「――重吉さんから手紙来るか?」
「もう二週間ばかり来ないわ――どうしたのかしら」
「戦争からこっちまたなかの条件がわるくなったんだナ。――会ったらよろしく云って下さい」
「ええ。ありがとう」
 ひろ子はつよく合点した。そして、良人の深川重吉の古い親友であり、現在の彼女にとっては指導的な立場にいる大谷の戛々《かつかつ》と鳴る下駄の音が、溝板を渡るのをきき澄してから、戸締りをして、二階へ戻った。

        二

 横丁を曲ると、羽目に寄せて、ズラリと自転車が並んでいるのが目についた。夫々《それぞれ》うしろに一寸した包をくくりつけたままで、斜かいに頭を揃えて置いてあるのだが、そ
前へ 次へ
全59ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング