るものを感じた。重吉と大谷とのつきあいの深さは、互の噂を個人的に喋り散らす以上のものであり、そういう友情が歴史を押しすすめるための大事な見えないバネとなっている、その値うちがひろ子にも近頃少しずつ分って来ているのであった。
だが、果して大谷はやられなければならなかったのだろうか。ひろ子はそう考えると、大谷のやりかたにも口惜しいところがあるように思えた。例えば絣の男ときいてひろ子の頭に浮ぶのは臼井という人物である。もしそれが、稲葉のかみさんのみたあの絣であったとしたら。ひろ子が言葉は少くしかし意味は深く漠然とした疑いを話したとき大谷は、比較的あっさり、ひろ子の不安を否定した。だが大谷は絶対にそのようなことがあり得ないという確信を持つ客観的な根拠があったのだろうか。
この前後のいきさつには、ひろ子として何か口惜しいところがある。
僅か一日おいて、託児所からタミノがやられた。
ひろ子が子供らの駆虫剤をもらいに診療所へ行ってかえって来たら、溝橋のところに二郎と袖子がこっちを見て立っていた。遠くでひろ子の姿を見つけると、二人の子供は手を繋《つな》ぎあわせ、駆けられるだけの力で走って来た。
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