まで余波が来ることを全く予想していないことではなかった。或るところへ電話をかけ、そこから必要な場所へ知らして貰うため、タミノを出した。
 重吉がやられた時、ひろ子は自分では十分落着いているつもりであったが、大谷の家の降りなれた階子の中途に下っている壁の横木へ、二度もひどく自分のおでこをぶつけた。その薄い傷あとを黙って見ていた大谷の眼差し。それから、
「まア、飯をたべて行きなさい」
と、チャブ台へ自然とひろ子を坐らした大谷のもの馴れた思いやりのこもった沈着さ。仕事で彼によって成長させられた色々の場面を考えると、ひろ子は、遂に彼のつかまったくちおしさで腹が震える感じであった。
 いつだったか、ひろ子は大谷がもう少しであぶなかったところを、樹へのぼって助かったという話を誰かからきいた。ひろ子が面白がってその噂を重吉に喋り、
「ほんとにそんなことがあったの?」
と訊いた。重吉は、ひろ子の顔を一寸見ていたが、直接そのことがあったともなかったとも云わず、ただ、
「なかなか早業をやるよ」
 そう答えて、愉快そうに笑った。ひろ子は、後々まで、そのときの重吉の返事のしぶりを思いかえして、心に刻みつけられ
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