ゃないのよ、ちい坊や」
それから一時間あまり経って北海道生れのお花さんが、帰って来た。
「すみませんでしたね。ふー、たまんね。何んとした暑さだろう」
お花さんは立ったまま帯をほどき、大柄な浴衣《ゆかた》をぬぎすて、腰巻一つになった肩へしぼって来た手拭をかけ、
「ホーラよ、泣きみそ坊主!」
長く垂れ下って黒い乳首をあてがった。鼻息を立ててちい公はそれへかぶりついた。ひろ子さえほっとする安堵の色が赤坊の顔にあらわれた。
ひろ子はその様子をわきからのぞきこみながら、さっきの話をした。お花さんは、無頓着に生えぎわの汗を肩へかけた手拭でふきながら、
「そりゃ吸わないわね、だって、のましてる乳でなけりゃ、ひやっこいもん、いやがるよウ」
ひろ子にはその夜のことが忘られなかった。この自分の乳首が子供を生んだことのない女のつめたい乳首であるということ。そして、見た目は見事な体のお花さんが、栄養不良でおむつから出る二つの小さい足の裏が蒼白いような赤子を、暖みだけはある乳房に辛くも吸いつけている姿。この社会での女の悲しみと憤りの二つの絵がそこにあるように、ひろ子の心に印されたのであった。
その
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